Trans Eurasien Expreß seit 2002

 
erscheint z.Zt. vierteljährlich und behandelt bedeutende und/oder interessante Eisenbahnen und sonstige Transportmittel in der Welt, mit Vergleichen zwischen Japan und dem Ausland, Geschichts- und Kulturvergleichen - je nach Thema der Ausgabe. Alle Fotos, Ton- und Videoaufnahmen wurden vom Author selbst aufgenommen, soweit keine fremde Quelle ausdrücklich vermerkt ist.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
16. ラインの黄金Ⅱ

- 嵐編 -
今回の取材地: ドイツ

ドイツ帝國鐵道時代の初代 ラインゴルト号保存客車
 時代は下って20世紀末。今回はある嵐の夜の少し風変わりな「ラインの黄金」体験をご紹介する。

95年から97年にかけて数度ドイツ中西部のデューレン
Düren という小さな町を訪れた。当時住んでいたフランクフルトからは車が最も速いのだが、その日はデュッセルドルフでの早朝からの会議と二件掛け持ちになり、僅か名古屋⇔神戸位の距離を横着して朝はデュッセルドルフまで空路で行った為帰路は必然的に鉄路となった。人生万事塞翁が馬、朝の横着とこの日の低気圧とが競合して、深夜に予期せぬ黄金の時間が輝く事になる。
 デューレンでの会議が延び、ケルンでフランクフルト方面最終の急行に接続する最後の普通列車に間に合うよう、タクシーでデューレン駅に急いだ。大雨の中、気合を入れて走ってくれた旧ユーゴ難民という運転手君(地方ではまだ外国人が珍しいのか良く「お客さんどこから来たの」と尋ねられるので、その流れで「じゃああなたは?」という展開になり易い)にチップを多目に渡し、ぎりぎりセーフとばかりにホームに駆け上がった。が、発車寸前の筈の列車の姿は無く、「… wir bitten Sie um Ihr Verständnis ご理解賜りますよう…」と聞き捨てならない構内放送が流れ、周囲の待ち客も皆勃然としている。何か、ご理解したくない事情が発生したのだ。

ライン川を渡る各停
 繰り返された放送を聞くと、案の定ケルン行が20分程遅れているという。バケツをひっくり返したようなこの大雨だ。膨大な量の水が地面や屋根を叩きつける時に発する音圧は凄まじく、軌道やホームの表面付近には劇場のドライアイスのような水煙の層が漂う程の激しさで、どこかで冠水していたとしても不思議ではない。

ライン川を渡るICE3
 ライン川沿いの本線(2002年の高速新線 NBS Rhein-Main の供用開始まではルール地方とヘッセン州南部を結ぶ大幹線だった)の線路は大丈夫か、ちらっと気になった。Wikipedia によるとライン川 der Rhein は全長1320km、平均流量毎秒 2200 (日本最長の信濃川ですら同 367km503 m³、多摩川に至っては138km40 に過ぎない)と大陸らしい雄大な規模なので、アルプスの雪解け時に遥か上流域で大雨が続いたりするとドイツ中部では晴れていてもぐんぐん増水して線路沿いの道路が完全に水没したりする反面、現地での局地的豪雨ではコソバイワ程度の影響しか無いので、この突発の嵐程度なら冠水まではしないだろうと踏んだ。
  が、これではケルンで南行の最終の急行に間に合わない。学生の頃ならホームで夜を明かすのも一興だったが、もうその若さは失われた。しかもこの嵐だ。ぎりぎりを狙うものではないなとホゾを噛んだが後の祭りだった。

すると近くにいた気の良さそうなおじさんが「どうした、何をそんな不景気な顔してんだい?」と聞いてきた。彼は、実はおじさんの姿をした幸運の女神だったと後でわかったのだが、この時はどこにでもいるおじさんの一人にしか見えなかった。「いやー、フランクフルトに戻りたいんだけど、これでは今日中に戻れそうもないし、Information も閉まった深夜に雨の中の宿探しなんてちっとも lustig じゃないよ。」とぼやいてみせた。

ライン川を渡るCNL
 ここで女神がふ、と微笑んだ。「そりゃ気の毒だな。困ったら俺について来な。俺は DB (ドイツ鉄道株式会社)の運転士 Lokführer で、これからケルンに出てケルン始発ウィーン行 City Night Line* (以下CNL)に乗務するんだ。だから少なくとも CNL ならまだあるぜ。動かす奴がまだここにいるからな。」 DB の運転士は乗務中も私服なので、俺は Lokführer だ、と言われればへえそうなんだ、程度の関心だった。
 ニブ夫君の私はすぐ目の前に幸運の女神が立っている事にまだ気付かない。CNL が途中フランクフルトを経由するのは事実だし、いつ来るかわからない列車をぼーっと待っているのも退屈なので、だらだらと雑談に付き合った。「…けど CNL って全車指定の夜行だし DB とは別会社でしょ。じゃあ僕の DB の切符は使えないね。」

ライン川を渡る普通列車二階席より
 ここで女神が一瞬きらりと顔を出した。「事情を話して CNL の車掌に交渉してみな。駄目って言われたら仕方ない、俺のところに来な。」「… Wie bitte? 俺のところって…機関車に?」「そうだよ。」鉄道会社勤務でもない一般人が実際の仕業に就いている機関車に乗る機会なんてそうあるものでもない。どんな機関車かわからないが、ケルンから先、特にコブレンツ・ビンゲン間は、夜とはいえ「ラインの黄金」区間を擁するドイツ屈指の風光明媚な鉄道路線ではないか…。余り現実的な話ではないが、それでも運転士氏の背後に俄かに後光が差してきた。
 漸く地響きを立ててやってきた山のような総二階建の鈍行に乗りとろとろ走ってケルンに着いた時は、遅れは更に5分程拡大していた。やはり大雨による徐行が原因と見た。本線の南行ホームを見ると、確かに発車時刻を大幅に過ぎた CNL が黒々しい巨体を横たえて停まったままだ。先程の彼が大法螺吹きでなければ、先頭の機関車はまだ無人の筈だ。

ICE3先頭車パノラマラウンジ(11号参照) から見たライン渡河シーン
 牽引機は何だろう、とずーっと前の方を遠望した。幸いケルン中央駅は巨大なドームに覆われているので大嵐でも駅構内に雨の吹き込みは無く、見通しがいい。夜行は高速性能が要求されないので140(旧E40)等の貨物機や旧東独製のガラクタが牽いている場合も珍しくないので、期待はしていなかった。 が、この日先頭では伝説的名機・103が、長大な CNL を従えて威風辺りを払っていたのだった。CNL の客車は文字通り夜闇に溶け込みそうなミッドナイトブルー一色なので、ベージュと真紅のTEE塗色も鮮やかな103が一際輝いて見えた。
 DB の103はドイツの在来線急行の時速200キロ化の為大量増備された6軸の戦略機で、60年代設計独特の(但し量産は70年代)卵型の胴体(因みに、何でもドイツと張り合いたがるフランス SNCF の同時期の花形機はドイツが丸といえば角で、ゲンコツと通称された位角張っていた)に大陸欧州伝統の三つ目を先端に小さくまとめたデザインは赤塗りにされてしまった今でもいい味を出しており、東の鉄道大国・日本でもファンが多い名機中の名機だ。
 流面形の正面窓の下にライトを3つ三角形に小さくまとめる手法はDB今日の主力、ICE3の昆虫顔に受け継がれている。日本の旧国鉄後期に膨大な数が粗製乱造された汎用通勤電車も103系を称したが、日独両103の落差は余りに大きい。 だが、如何に優秀でも老いれば去って新陳代謝がなされるのは人の世も機関車の世界も変わらない。後継機101の大量増備と共に、103の IR InterRegio, JRの快速に相当)や各停運用(涙)への格下げや淘汰が急速に進んだ。この間、当初103の代替機となる筈だった120の性能の不安定、新幹線 ICE の初期型を用いた884列車レントゲン号 Wilhelm Conrad Röntgenエッシェデ事故* 、それに2000年のハノーバー万博輸送特需もあり、信頼性の高い高速機103のまとまった数が一時的にせよ一軍に復帰した。しかし廃車のペースは当初予定より遅れたものの、2003年には遂に103は全ての定期運用から離脱したという記事を目にした。後は保存機として解体を免れた幸運な数機が末永くファンの目を愉しませてくれる事を祈るばかりだ。

湘南の海岸線を行く V200
 ここでドイツ鉄道史でいう第3期 Epoche III (現在は第5期)以降のDBのエース機の歴史を独断と偏見で振り返ってみる。103登場までのドイツの優等列車牽引機は威圧的な意匠が特徴だった。例えばディーゼル機の雄・V200は鉄腕アトムの名作「地上最大のロボット」(オリジナル版)でアトムの好敵手プルートウを一撃で叩き潰したボラー(親父ギャグ程度の偶然の符合に過ぎないがこいつの出力も「200」万馬力だったと記憶する)のような、ぼってりと憎々しい顔をしているし、太鼓腹のようにせり出したV200の金太郎塗の前面ボンネットは醜いが押し出しがいい。

E03と並ぶ110300番台(左)
 時速140キロ機だったE10(後110と改番)の歯車比を変更し160キロ機となり、300番台が割り当てられた半流線形の後期型(現地の110ファンは四角い前期型の「Kasten 箱」に対して「Bügelfalte アイロン折り」と呼ぶ)は、103登場までDB電機のエースだった。個人的にはこいつが一番好きで、その毅然とした、悪相と言っていい面構えには男惚れしている程だ。この如何にも鋼鉄鋼鉄して、Star Wars のダースベーダーの顔を連想させるいかついマッチョさには濃紺一色+黒い足回りという登場時の塗り分けはぴったりだった(欲を言えば黒一色というバージョンを見たかった)。
 今日、速さを視覚的に強調したバンパーや側面ルーバーのカバーが省略され、しかもあろう事かお茶目な総赤に塗り替えられてしまった110半流(「半流線形」の略。「韓流」の誤変換では無い)の残党達*は、赤襦袢を着せられたジャイアント馬場(G馬場が米国で売り出した頃、目立つように芸妓用の赤襦袢の格好で公道を行進させられた屈辱の経験がある由)のように痛々しいまでに間の抜けた印象になった。あのカクっと来るやる気の無いダースベーダー」のテーマ* が似合ってしまうのが、悲しい。
 誇張すれば、V200 もE10半流もその高出力を悪相で誇示していた。これはこれで味があるが、これらマッチョな先輩機とは対照的に、当時世界第一級の性能(欧州初の200キロ機でもあった)を、敢えて大きさも強さも感じさせないスマートな車体で包み隠した103の「能ある鷹は」的 understatement は実に爽やかで、その性根において格好いい。

ズィルバーリンゲ(銀坊主)と俗称される 近郊客車と組む V200 晩年の姿
しかも営業最高速度200キロは余裕だった。103の3号機は1985年の試験走行で時速283キロを叩き出している。222号機はICE開発の為更に試験的にパワーアップされ280-300キロ対応機となったが、これも103一族の美学に従い、外観上目立った変化は無く、ナンバープレート(750系に改番、後2005年に元の103-222に戻された)を見て辛うじてパワーアップ機である事が識別できる程に、「羊の毛皮を被った狼」に徹していた。

MET塗色にすると文鎮みたいな101
 現在の在来線用主力急行機101は営業最高時速220キロと性能面では103を上回るが、意匠面では毒も味も抜けてしまい、退屈で欠伸が出そうだ。上の写真の銀+灰のMET塗色(7号でご紹介したメトロポリタン急行METは利用低迷の為その後廃止された)は101のシンプルな現代的造形を引き立たせ、これなら許せるが、DB 標準色となった Verkehrsrot 「交通赤」といわれる暑苦しい赤色の機体はケバ過ぎる。英国 British Rail の先頭部分が常に黄色に塗られなければならないのと同様に警戒色の趣旨なのだろうが、爽やかな森の中に現れた総赤の101は、緑のジャングルの中で異臭を吐き続ける毒々しく赤いラフレシアのような不快な違和感がある。

次の写真は過去半世紀の DB 在来線のエース機4代、即ち左から110半流(登場時塗色)・試作機E03・量産機103(いずれもTEE塗色)・現在の主力101(MET塗色)総登場の図である。鉄道雑誌を見る限り地元ドイツの電機ファンの間では103*E03* が人気を二分しており、やはりというか101は概して不評のようだ。
 話を戻す。この伝統的TEE塗色を纏った103の美しいフォルムと、先程の運転士氏の親切な申し出の記憶とが頭の中で交錯した瞬間、全身の血流が一瞬止まった気がした。鉄道を愛する者にとって千載一遇の、そして絶対逃がしてはならないチャンスが一瞬だけすぐそこに訪れ、そしてもう間もなく消え去ろうとしている事に、やっと実感として気付いたのだ。「103に乗る。」これだ。私は断固決意した。

だが、まず客室をトライするという、運転手氏の課した条件がまだ残っていた。こうなったら寝台車の車掌に断られるしか、鉄道を愛する者の沸き立った血潮を鎮める方法は無い。最も融通の利かなそうな車掌を素早く選んで「DB 昼行の切符しか持っていないけど、これで CNL の寝台車に乗れないですよね?別会社だし。」と、駄目としか答えようの無いクレバーな愚問を発し、予定通りアカンと言われた瞬間、女神が課したささやかな条件は全て充足された。

左のE03(不動)は年代物なので一見ウェザリング処理がされたかのようだ。
 内心喜んだ刹那、CNL ウィーン行の発車案内が流れた。む、列車が出てしまえば元も子もない。客車からは機関車には乗り移れないし、そもそも客車には乗れない。というのは私の人選に誤りは無く、さっきの車掌が顔では「悪いねぇ Tja, tut mir leid 」という表情を見せながらも、体は断固として不審者を乗せまいと客車のドアを通せんぼしているからだ。

これで選択肢は自ずと一つに収斂した。私は忠実に職務を果たしている車掌に(感謝の)一瞥をくれて、先頭に向かってまっしぐらに駆け出した(ますます不審だ)。列車のドアが一斉に閉まる音が、静まり返った深夜のケルン駅構内に響いた。もういつ動き出しても不思議はない。二件分の重いファイルが入ったトロリーが横倒しになって悲鳴のような摩擦音を撒き散らかすのも構わず、ラストスパートをかけた。日頃の不摂生がたたり、息が苦しい。この時程列車の長さを感じた事は無かった。
次号ラインの黄金III・月光編に続く
 
     
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