Trans Eurasien Expreß seit 2002

 
erscheint i.d.R. vierteljährlich und behandelt bedeutende und/oder interessante Eisenbahnen und sonstige Transportmittel in der Welt, mit Vergleichen zwischen Japan und dem Ausland, Geschichts- und Kulturvergleichen - je nach Thema der Ausgabe. Alle Fotos, Ton- und Videoaufnahmen wurden vom Author selbst aufgenommen, soweit keine fremde Quelle ausdrücklich vermerkt ist.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
25.【番外編】 海原電鉄 考


イメージが比較的近い国鉄80系関西急電色のNゲージ
模型を素材に、宮崎駿の海原電鉄を表現してみた

脱稿日現在、邦画・洋画を問わず日本映画史上最大の興行成績を残した作品は宮崎駿の「千と千尋の神隠し」 (2001年) だ。世界映画史上最大の興行収入を稼ぎ出した「タイタニック」 (1997年) 等の並み居る世界的超大作を抑えての堂々トップなので、日本人の心の琴線に余程強く響くものがあったのだ。ジブリ映画では ①ノスタルジックで立体的な町並 ②縦横無尽の飛行場面 ③奇想天外な乗物、の3点セットが独特の宮崎ワールドを形作る。 ③は「となりのトトロ」 (1988年) の猫バスが有名だが、個人的に最も印象に残っているのがこの「千と千尋」の海原電鉄だ。最初は音だけ、その後何度かちらちら姿を見せ、遂に終盤の見せ場で画面一杯の大海原の中を2両編成の列車が透明な海面を蹴って驀進する、この登場の仕方は大物級だ。本号では番外編として「欧州の鉄道」という枠を外し、まずこの魅惑的な海原電鉄の独断的分析を試み、次いで海原を行く陸上の交通機関を探してみる。

 

1 鉄道としての海原電鉄

映画では「電車」と呼んでいるが、電車とは電気モーターを動力源とする動力分散式 (機関車が無動力の客車を動かす動力集中方式と異なり、駆動装置が客室の下にある) 鉄道車両を指し、分散式でも海原電鉄のように内燃機関で動く場合は気動車という。しかしここが言葉というものの玄妙なところで、誤用も慣用化されればそれが正しくなる。長距離列車は今でも動力集中式が主流の欧州とは対照的に、日本では通勤電車から新幹線まで動力分散式が広く普及し、電化区間は電車、非電化区間は気動車の天下だ。中でも電車が圧倒的に多い日本では気動車をつかまえて電車と呼ぶのはまだ良い方だ。機関車牽引の客車寝台急行 「銀河」 (2008年3月廃止) を利用した際、プロの筈の車掌までが車内放送で「この電車の到着予定時刻は…」とやり、危うく寝台から落ちそうになった。最早、日本語で「電車」とは (専ら路面電車のみを指す広島のような特殊な用語法を除けば) 全ての旅客列車を意味しつつあるようだ。映画での海原「電」鉄の発車音は正確にディーゼルエンジンの音なので (仮に海原電鉄が電化された別線を保有しないとしても) 製作者は全て承知のうえで最近の日本語表現に合わせたのだろう。

 
(註) 世界最速のレール式鉄道記録 (第1話第28話 参照) を有する仏 TGVTrain a Grande Vitesse 「高速列車」) も電気機関車が両端に奢られているが伝統的な動力集中式で、現在開発中の動力分散方式の高速列車は AGVAutomotrice a Grande Vitesse 「高速電車」) と別名がつく。
 

海原電鉄の車両を見てみよう。車体は日本の大昔の木造軽便鉄道のようで、台車は異様に小さく、顔は1960年代の日本の鉄道界を風靡した湘南顔と称された二枚窓だが当時これとセットで流行した金太郎塗りはなされておらず、先後を欧州式の拳骨型緩衝器で固め、屋根上には国鉄60~70年当時の丸型通風器の隣に最新型の薄型集中冷房装置が並び、車内は旧式ロングシートに丸型白熱灯と、意図的としか思えないシャッフルぶりが、洋の東西や時の今昔を混ぜこぜにする宮崎作品らしい。

 

2 海原電鉄の行先

先頭部に「中道」と書いてあるが、終点に九州本土と志賀島を結ぶ 「海の中道*」 のような陸繋砂洲があるのか、中道* なる仏教用語と何か関係あるのか、それとも海原の「中」を行く鉄「道」なので「中央線」のような線名表示なのか、説明は無い。ただ、

千尋達が降りた「沼の底」という奇妙な駅名は地底世界を思わせる事
(偶然だが千尋(ちひろ)の「尋」は水深用等に用いられる尺貫法の単位(約1.8m)でもあり、千尋(せんじん)の底深さをも暗示するとまで読むのは穿ち過ぎか)
   
現世と冥界の間は広大な水面 (仏教における此岸と彼岸を隔てる三途の川や、ギリシャ神話で地上の人間界と地底の冥界を隔てる地底の大河ステュクス) で隔てられているとする死生観がある事

からこれは冥界行の列車ではないかと気付く。



黄泉比良坂(よもつひらさか、島根県東出雲町)と、イザナギが道を塞いだと伝わる大岩(左)

善玉悪玉が明確なハリウッド映画とは対照的に、宮崎作品では一神教的な絶対善・絶対悪的存在は稀で、この映画でも八百万の神々が登場する。その日本神話には黄泉比良坂 にイザナギが巨岩で森の中の道を塞いで冥界と人間界の境とした挿話があるが、

映画で異世界に通じる「楽復」と銘打たれた門 (以下便宜上「楽復門と呼ぶ」) も林道を塞ぐ形で唐突に出現する事、

も①②と考え併せると、人間界側は森の中の道を塞ぎ、冥界側は水郷地帯に出る楽復門を冥界と人間界の境界とする設定に、日本神話・仏教・ギリシャ神話全てに挨拶する芸の細かさが見てとれる。更に、
 
A. 対岸行の一方向運転という海原電鉄の奇妙な運行ダイヤや死者の待合室 (後述) のような不思議な空間が往路にのみ出現する点と、逆行不可能な人生の時間軸
     
  B. 千尋が駅まで乗った非実用的な樽形木造船と、江戸期までの庶民の棺桶の主流は樽形の座棺だった事
     
  C. 不思議の町の食物を食べた千尋への「振り返らずに元の世界へ戻れ」とのハク (暗渠化された小川の神ニギハヤミコハクヌシ饒速水琥珀主) の忠告と、日本神話 (イザナギとイザナミ) やギリシャ神話 (オルフェウスとエウリュディケ) で冥界の食物を食べた妻を夫が現世に連れ戻す際に課された「振り返るな」との禁忌
 
は、A. B. C. 内でそれぞれ全て平仄が合っている。
 
①~④を総合すると、楽復門から広大な水面を横切って闇に沈む沼の底に向かう海原電鉄は、黄泉の国に死者を運ぶ列車という設定では、との心証は益々黒くなる。
 

3 半透明の乗客達

車内の無言の「乗客」は皆半透明の人型の影というのも不気味だ (夜の街を蠢く不定形の影はもっと不気味だが)。皆疲れ果てたようにうなだれ、概して高齢のようだ。途中駅のホームで独りぽつんと列車を見送る少女の影も意味ありげだ。ドップラー効果まで表現した効果音付の踏切通過シーンでは画面奥の集落と手前の踏切の間は完全に水没して恰も雲上世界のような光景だが、列車通過を待つ半透明の影 (珍しく親子のようだ) が水中を歩いても濡れていないのも不審で、これら人型の半透明の影は実は皆死者の魂ではないかとの疑惑を更に補強する。

ではなぜ死者の列車なのか。立木への激突のような深刻な交通事故を暗示する場面もある。

 
映画冒頭、冥界に通じる楽復門が突然現れたのは千尋の父が「この車は四駆だゾ」とほざきながら愛車アウディA4で狭い林道を暴走中だった
   
パニックブレーキ時のABS作動状況まで描かれている
   
主題歌 (後述) の中の♪粉々に砕かれた鏡の上にも新しい景色が映される…という暗示的な一節
 
がそれだ。この映画のドイツ公開時の題名は「チヒロの魔法の国への旅 Chihiros Reise ins Zauberland」だったが、「魔法の国への旅」とは臨死体験の事ではないか。10歳の元気な子供 (千尋) と死とは一見そぐわないが、浅田次郎も「憑神」で貧乏神・疫病神・死神がそれぞれ豪商・相撲取・小さな女の子に化けて出てくるという意表を突く設定をしているし、そもそもこの映画は死が隠れテーマのような気もする。
 

脳腫瘍に侵され、担当医の予言通りの過程を辿って死につつあった父を見舞っていた頃、千と千尋の主題歌「いつも何度でも」の美しい旋律と不思議な歌詞 (覚和歌子作詞) をなぜか無性に聞きたくなり、病院との往復の車中、正にいつも何度でも聞いた。♪悲しみは数え切れないけれどその向こうできっと貴方に会える♪さよならの時の静かな胸 零になる体が耳をすませる♪生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街もみんな同じ♪閉じていく思い出 (略)♪始まりの朝の静かな窓 零になる体、満たされてゆけ…この曲は臨終の日の朝、死への恐怖を克服し、自らの死という厳しい現実を受容し、家族との別れを惜しみ、先立った者との再会に期待を繋ぐ、黄泉の国への荘厳な旅立の歌なのだと、葬儀の最中にふと思った。日本映画史上最大ヒット作「千と千尋」の主題歌と、秋川雅史が2007年にクラシック歌手で初の年間オリコンチャート1位を付けた「千の風になって」の両曲共に、遺される者への愛惜を死者の目線で歌いあげたものだとしたら、「死」が如何に人々の重い関心事項かがわかる。

 

4 海原電鉄の走る世界と楽復門の機能

楽復門の向こう、不思議の町は不気味で怪しいが、どこか懐かしく楽しげで黄泉の国のイメージとは程遠い。海原電鉄のデザインも二昔前の日本の鉄道がモデルである事は冒頭に述べた。ある可愛気のない少年が北極のサンタの王国に旅する米CG映画ポーラー・エクスプレスThe Polar Express (2004年) も米国型旧式客車を米国型巨大蒸機が牽くノスタルジー路線だ。日米両ヒット映画の架空鉄道がそれぞれの国の昔の鉄道をモデルにしているように、ファンタジーの演出にノスタルジーの刺激は有効のようだ。

 

昭和30年代の日本の横丁を連想させる食堂街には、横断幕の「飢と食と会」 (一部ミラー文字) とか、店の看板の「蟲」屋・「肉骨」屋・「めめ」屋・「ぶ● (●は「く」に「゜」。読めないが「ふぐ」が訛ったか?) 」屋とか、ピジンイングリッシュならぬ pidgin Japanese とも言うべき怪しい日本語が溢れる。町の中核の油屋は

 
① 周辺の料理屋とは桁違いに豪壮な結構を誇る
② 巨利を貪るオーナー
③ 烏帽子に水干の白拍子姿の女が大勢いる
④ 玄関に大書された「回春」の文字

 
から八百万の神々の遊郭という設定か。天国でも地獄でもなさそうな不思議な世界だが、ここはどこなのか?
 

ここで思い出すのが宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」だ。主人公は丘の上で夜空の銀河を眺めているといつしか宇宙空間を旅する列車に乗っている。なぜか唯一の親友も一緒だ。異形の乗客達に混じって普通の人間もいるので尋ねると、乗っていた船が氷山に衝突し沈没したらここにいたと答え、これは黄泉の国に向かう列車ではと薄々気付く。「乗客」の下車駅はまちまちで、死者の世界も一つだけではなさそうだ。黄泉の国と言ったって広いぜ、というこの発想は新鮮だった。主人公は自分の切符だけ違うのを不審がるが、遂に親友も姿を消す。主人公は丘の上で目覚め町へ戻り、親友の事故死を知る。死者である他の乗客達が皆片道切符しか持っていなかったのに対して、主人公の切符は黄泉の国に去り行く親友を途中まで見送る特別な往復切符だったのだ。

 

また、海原電鉄の走る世界がどういう設定なのかを推測するに際しては、この異世界と人間界との結節点である楽復門も詳しく観察する必要がある。楽復門は門といっても、人間界側・冥界側の両側を真暗で狭く長いトンネルが繋いでおり、機能的にはトンネルこそ本体だ。冥界側出口付近の内部には、丸いステンドグラスからの神々しい透過光が差し込む、教会か待合室のような無人の寂寥とした空間が広がる。千尋一家が最初に海原電鉄の音を聞いたのはこの空間なので、線路は楽復門辺りまで延びている、らしい。仄暗い空間の中で、足許に吹き溜まった枯葉を照らし出す陽光に誘われるように外に出ると、そこには一転して、見渡す限りの青々とした大草原を爽やかな風が吹き渡る高天原 (たかまがはら) のような世界が広がる。が、その大草原は増水時には水没して海と化す大水郷地帯だった。

 

また、そもそも「楽復」という門の銘自体がいわくありげだ。もし原作者が何かをヒントにしたのならば、伊達政宗がその晩年に自らの人生を振り返って詠んだ名詩「馬上少年過グ」中の「残躯天所赦 不楽復如何」という一節が、唯一思い浮かぶ。独眼竜と呼ばれ青・壮年期を馬上干戈の中を駆け抜け天下を狙ったが果たせずに老いてしまったものの、「生き延びる事を許され (残躯天ノ許ストコロ)、後は余生を楽しもう (楽シマズシテ如何セン)」という趣旨だとされる (楽しくも無い余生を如何に過ごそうか(楽シマザルハ如何セン)と読む説もあるらしいが、これではその後の春風の中の一献のくだりが自棄酒になってしまい英雄らしくなくなる)。映画ではそこを一ひねりして、この「楽復」の銘は、「残天所赦 不楽復如何」「人間界では人生を駆け抜けたが、死んで肉体は滅びたものの魂は残り、後は黄泉の国でそれなりに楽しく生きよう」という標語であると読み込むのは想像力の膨らませ過ぎだろうか。

 

映画終盤、生還を許された千尋一家が現世に戻る為再びくぐった楽復門は映画冒頭とは一転して廃墟化し、「楽復」の銘も、門の冥界側にあった神々しい待合室も無くなっており、色褪せた (往路では生々しい赤色だった) トンネルを人間界側に戻った頃には門は風化し朽ち果て、門も林道も樹木や雑草に埋没しつつある。良く見ると異世界への入口を暗示したトンネル手前の石人像も、既に路傍の石コロと化している。現世とあの世を結ぶインターフェイスの役割を終えた楽復門は、目立たないように、しかし急速に姿を消しつつあり、一帯は明日にも普通の森に戻ってしまいそうな勢いだ。

 

5 海原電鉄の独断的分析と小エピローグ

これらを統一的に説明する仮説を考えてみた:

  • 死者が黄泉の国に旅立つ時、人間界と黄泉の国をワームホール状に結ぶ楽復門が出現する。この門は死者を通すという用が済むと自然な形で消滅していく。

  • 油屋のある神々の歓楽街は黄泉の国の辺境の水郷地帯にあり (江戸時代に遊里が辺境にのみ設置が認められた如し)、楽復門の冥界側出口もこの一帯にある。

  • 死者は楽復門の冥界側出口の待合室で海原電鉄を待つが、冥界に慣れないうちは列車の音は聞こえるが姿はまだ見えない。

  • 死者は当初は半透明の人型を保っているが、長い時を経るうちに人型も崩れ、不思議の町を徘徊する不定形の影に変わって行く。

  • 海原電鉄は死者を楽復門から三途の川 (?) を越え黄泉の各地へと運ぶ交通手段なので、神代の昔とは異なり逆方向の運転は無い。死者は黄泉の国の中の各自の所定の駅まで (最初の駅である油屋前を含め) 途中下車禁止 (東独崩壊前の旧西独・西ベルリン間の飛び地型回廊列車 Korridorzug の西側世界の乗客が東独内で下車不可だった如し)

  • 駅でぽつんと列車を見送る半透明の少女は、親がこの世界に来る日を待ち続ける、夭折した子供か?

  • 新興住宅地脇の丘陵の林道で事故に遭った千尋達は、出現した楽復門を通じて冥界に行き、更に海原電鉄で所定の駅まで運ばれていく筈だった。が、偶々水が干いているのを幸い楽復門から徒歩で油屋まで行ってしまい、途中下車禁止の神々only の世界に紛れ込み油屋で大騒ぎになるが、生還を特に許され楽復門が消え去る寸前に人間界に戻る事ができた…。

暗喩に富む海原電鉄を肴に、大ハズレ御免で作者の意図を勝手に推測するのは楽しい。が、大海原を走る列車のシーンは、眺めるだけで楽しい。このシーンは外国でも印象が強かったようで、ポートランド市で一面冠水したヤードを行く列車のアーカイブ写真*を評する最初の書込は「ミヤザーキの Spirited Away (千と千尋の神隠しの英語圏での題名) を連想させる」だったのが興味深い。決まった軌道上を往復する線移動しかできない鉄道が、面の最たるものである大海原を行く視覚的矛盾からして面白い。

 

このような光景は、それこそ「楽復門」をくぐらない限り見る事はできないが、まだくぐりたくはない。楽復門のこちら側の世界で、陸上の交通機関が広大な水面を走る光景は無いものだろうか。前述のポーラー・エクスプレスでは凍った湖面を列車が龍がのたうつ如く走るハリウッド丸出しのシーンがあるが、そんな派手でなくて良いから映画ではなく現実に乗りたい。

 

本連載は欧州の鉄道が「本線」だが、これまでも非鉄道系の愉快な乗物達も折りに触れ「側線」でご紹介ないし写真を挿入してきた第3話*のキック式橇、第6話*の飛行船ツェッペリンNT、第8話*の炭鉱内長距離滑り台、第10話*の常時循環式エレベーター「パタノスタ」、第14話*の水陸両用バス、第19話*第20話*の車体昇降ジャッキ付バスとコンコルド、第21話*のアルプスのタクシーヘリ)。この度、本連載が7年目に入るのに勝手に免じて、以下続・番外編として「人間界で愉しめる海上を行く陸上の乗物」を探してみる事にする。

 
     
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