Trans Eurasien Expreß seit 2002

 
erscheint i.d.R. vierteljährlich und behandelt bedeutende und/oder interessante Eisenbahnen und sonstige Transportmittel in der Welt, mit Vergleichen zwischen Japan und dem Ausland, Geschichts- und Kulturvergleichen - je nach Thema der Ausgabe. Alle Fotos, Ton- und Videoaufnahmen wurden vom Author selbst aufgenommen, soweit keine fremde Quelle ausdrücklich vermerkt ist.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
33. 安芸路を駆ける欧州の風と米機の影

- 広島電鉄の新旧ドイツ車と被爆電車、そしてエノラ・ゲイ -

Hiroshima Electric Railway – Deutsche Straßenbahnen,
Atombombenopferwagen noch in Betrieb, und Enola Gay
今回の取材地: 日本 ドイツ アメリカ イタリア


【上】:原爆ドーム前駅を発車し相生橋を渡る、独Siemens製の5000形。
【左下】:広島原爆投下機B29エノラ・ゲイ号。【右下】:被爆電車651号車。
Oben: Die Baureihe 5000, die japanische Variant von "Combino", die
erfolgreiche Niederflur-Straßenbahnserie der Siemens AG, fährt
an der Atombombenkuppel vorbei und überquert die Aioi-Brücke
- Ziel des Atombombenangriffs auf Hiroshima. Die erste Garnitur
wurde mit einer russischen An-124 eingeflogen.
Unten: B29 „Enola Gay“ und der Atombombenopferwagen Nr. 651
1. 広島電鉄とドイツの縁
 

路面電車が全廃された都市が多い中で、35.1kmの路線を保有し毎日約16万人を運ぶ 広島電鉄* は、路線長・輸送人員共に日本一を誇る。冒頭の写真は原爆ドーム前駅を発車する宮島口行5000形で、これは独ジーメンス株式会社Siemens AGのヒット作コンビーノCombino*を日本向けにアレンジしたものだ。コンビーノは軽量(アルミ製)・大収容力[註1]・高加減速・郊外電車も兼用できる高速性能・超低床バリアフリー構造を誇る理想的LRTでドイツ本国のみならずオランダ・スイス・ポーランド・オーストラリアにも輸出され、その日本向け第1編成がドイツからロシアの巨人輸送機アントノフ An124 で空輸*された事でも話題になった。

 
[註1] 30m 超の巨体を5分割しているので紙屋町等の交差点の急カーブも騒音も出さずに楽々とこなす。超低床を実現する為台車を廃し、5車体のうち2車体は車輪が無く前後の車両が支える浮床構造だ。
 


ドイツ製の5000形(上)の後継5100形(下)は国産で「千と千尋の神隠し」のカオナシ
のような顔になったが、技術的には5000形を踏襲する。日本仕様の際立った違いは、
原則として車内検札を行わない欧州仕様では不要な車掌コーナーの存在(左上)だ。
Der auffällige Unterschied der japanischen Variant ist der Schaffner-
stand (links oben), die in Europa heute nicht mehr erforderlich ist.
Der Nachfolger der Baureihe 5000 (oben), die BR 5100 (unten), wurde zwar
in Japan hergestellt, die Grundstruktur des Combino blieb jedoch unverändert.

広電はドイツと縁があり、①高度成長期に渋滞対策で広島でも路面電車廃止が検討された際、広島県警等の訪独調査の結果を参考に存続に決定、②1988年の平和記念日にドイツ人画家が車体にスプレー画を描いた「ピースバーン号*[註3]を運行、③同社役員が広島県のドイツ名誉領事を兼務、④ドイツから新[註2]・旧車両の導入等多岐にわたるが、本稿では④について述べる。広電は各地の路面電車を引き取ってオリジナル塗色のまま走らせ、広島の街全体を展示会場としたスケールの大きな動く博物館としても有名だ。まず、旧・京阪神車と並ぶ外様電車である旧ドイツ車をご紹介する。

 
[註2] 5000形(1999年導入開始)の後継5100系(2004年~)は日本での製造となり、国産初の超低床車となった。浮床車を組み込んだモジュールの組み方、ドアを吊り出す方式のプラグドア、平滑な車体、幌部の処理等、至る所にドイツのDNAが見られ、Siemensからのライセンスの塊である事が一見してわかる。
[註3] Peace(英語で平和)+Bahn(ドイツ語で列車)の英独ちゃんぽんの造語だ。
 


動く市電博物館の面目躍如、来歴豊かな車両銘板の数々。「西ドイツ」という表現に時代を感じる。
Aufgrund der engen Straßen in Japans verschwinden Straßenbahnen
zunehmend aus dem Stadtbild. Eine Ausnahme bildet die Hiroshima
Electric Railways, die über das größte Straßenbahnnetz in Japan verfügt.
Hier fahren "Oldtimers" aus viele Ecken Japans sowie aus Deutschland
in den Originalfarben. Die Straßenbahn von Hiroshima wird deshalb auch
als "fahrendes Straßenbahnmuseum" bezeichnet. Unter den Tafeln, die
den jeweiligen Herkunftsort angeben findet sich auch eine Tafel mit der
Aufschrift "Dortmund, Westdeutschland" – also importiert vor der
deutsch-deutschen Wiedervereinigung.

脱稿日現在、広電の動態の旧ドイツ車は200形238号[註4]1両のみだ。この2軸単車は第二次大戦で被災した戦前形車両の足回りの上にデュヴァーグ社(DÜWAG、現在は Siemens に統合)が新造した車体を載せて復活させた系列で、Aufbauwagen(意訳すれば「復興車」又は「上乗せ車」)と呼ばれる。1976年に現役を引退後同市の路面電車博物館*入りし、1988年に姉妹都市広島から茶室を寄贈された答礼として来広した。広電の旧式車の保存方針は現代的快適さ(冷房改造等)を確保しつつオリジナリティを残すという正鵠を得たものだが、238の屋根上は抵抗器が占領して冷房装置を載せられない上に欧州式に窓が大きい為、寒冷季のみの限定運用がなされている。

 
[註4] 連番車の 239号 は今もHannover郊外の路面電車博物館に残る。
 


238号車二題。【上】白島線を往復していた頃。【下】レプリカ車101車内から。
尚、本稿における江波車庫・千田車庫における写真は、全て許可を得て撮影。
Die Hiroshima Electric Railway hat enge Beziehungen nach Deutschland.
Dem Betreiber wurden Neuwagen sowie einige Oldtimer überlassen und
ein Vorstandsmitglied des Unternehmens fungiert als Ehrenkonsul der
BRD in Japan. Da auf dem Dach des ehemaligen Hannoveraner
Straßenbahnwagens 238 kein Platz für eine Klimaanlage übrig
bleibt, wird der Wagen ausschließlich im Winter eingesetzt.

同形式の動態保存車の中でドイツ本国で多分最も有名なものは、フランクフルトのリンゴ酒急行Ebbelwei -Expreß*[註5]だろう。車内ではリンゴ酒(子供はリンゴジュース)ブレーツェル*Brezelが振舞われるリンゴ酒急行は観光客に人気で、無動力の付随車2両を従え[註6]3両編成で走る事が多い。デザインはど派手だが、ドイツ唯一の超高層ビル街がスカイラインを形作るこの無国籍風の街[註7]に色合のあざとさが不思議と合い、町の動く赤いアクセントとなっている。

 
[註5] リンゴ酒は標準語では Apfelwein アプフェルヴァインだが、ヘッセン訛りで Ebbelwei エッベルヴァイ、もっと激しく訛ると Ebbelwoi エベルヴォイとなり最早ドイツ語とも思えないが、さすがにこれでは通じないと考えたのか、愛称名は訛りの弱い方を用いている。リンゴのような爽やかな果実がなぜこんな味になるのか不思議な安地酒だが、暑い日にリンゴジュースと冷たい炭酸水で割って飲むと結構いける。
[註6] 欧州ではこのような機関車的使い方をする為、200形は広電のほぼ同格の国産2軸車150形と比べ7割増の出力を誇る。
[註7] マイン川沿いにマンハッタンのような光景が出現するのでマインハッタ ンMainhattan と呼ばれる事は第17話 で述べたが、例えば僅か1時間の飛行時間のパリから着くと、フランクフルトの没欧州的無国籍性を実感する。
 


【左上】:巨大パンタを振りかざし、附随車2両を従えた堂々3両のリンゴ酒電車
(Ostendstraßeにて)。【中上】:広島で国際親善、フランクフルトで観光とそれぞれ
の役割を果たしつつ余生を過ごす両Aufbauwagenの模型を並べてみた。成程瓜二つだ。 
【下】:Messeturmの急カーブで転回中のリンゴ酒急行と「走るクナイペ(飲み屋)」の陽気な車内。
Der Wagen 238 aus Hannover wird den sog. "Aufbauwagen" der Nachkriegszeit
zugeordnet, eine Schwesterbahn fährt heute noch in Frankfurt a.M.: der
Ebbelwei Express, eine fahrende Kneipe, oder ein Sachsenhausen auf Rädern.

旧型ドイツ車のもう一形式はドルトムントDortmund市から1981年に2編成購入した70形だ。これは3車体連接8軸固定編成の大型車で、冷房改造のうえ一時は宮島線(同社唯一の郊外鉄道線)で活躍した。今は1本が休車状態で残るのみだが、薄暗い江波車庫の奥でその銀色の車体を輝かせつつ、地ビールの車体広告・開戸ボタン・DÜWAG社独特の両開き式折戸等がドイツの薫りを庫内に漂わせている。



Die Bahn aus Dortmund neben dem Atombombenopferwagen 653.
Der Grund, dass so viel gemahnt wird, nicht schwarzzufahren, mag
darin liegen, dass der Wagen aus einer Zeit stammt, in der gerade
die Fahrkartenkontrolle beim Einsteigen abgeschafft wurde.
In diesem Dortmunder wurde nachträglich eine Klimaanlage In-
stalliert, doch wegen Überalterung ist der Wagen inzwischen
ausgemustert und wird im Depot Eba aufbewahrt.

【上】:被爆電車653と並ぶDortmund電車。【右上】:開戸ボタンが広島とドイツの気温の違いを示す。2色LED化された現在のボタンから見ると時代を感じる。【中左】:不正乗車(ドイツでは薩摩守<忠度→ただ乗り>の事を黒乗りSchwarzfahrenという)禁止の広告。信用乗車方式が一般化した今日の欧州では隔世の感がある。【中右】:日独二ヶ国語表記の折戸。

 
2 エノラ・ゲイと被爆電車
 

元ドルトムント市電の隣にいた653は江波車庫(上の写真の撮影地)付近で被爆したというが、ここまで書くと世界でここにしかない被爆電車群にも触れない訳にはいかない。その為には被爆電車を生んだ飛行機についてまず述べるのが順序だろう。 1945年8月6日朝8時15分、大きな影が3つ、広島の町を横切った。日本にはもはや迎撃能力は無いとわかっていたアメリカ軍は、特殊任務を帯びた大型爆撃機B29を戦闘機の護衛も付けず日本本土に侵攻させた。先発の気象観測機に続き、エノラ・ゲイEnola Gay号を含む僅か3機のB29[註8]は、一発の対空砲火の歓迎もなく、恰も自国領空を飛ぶが如く悠々と侵入し、広島で反転し、飛び去った。

 
[註8] 他の2機は科学観測機 Great Artist (偉大な芸術家)号と、写真撮影機 Necessary Evil (必要悪)号。ネーミングが意味深だ。3日後の8月9日の第二撃にはエノラ・ゲイが気象観測機を務め、第1攻撃目標だった小倉市上空に雲がかかっていた為に攻撃目標を長崎に変更、ここに小倉・長崎市民の運命は反転した。
 


エノラ・ゲイ(広島原爆投下機、長崎では気象観測機)のガラス張りの機首部分。
Am 6.August 1945 erreichten zwei weitere B29 (Great Artist und Necessary
Evil...was für Namen!) gemeinsam mit der Enola Gay, dem B29, der die Atom-
bombe abwarf, ohne Geleitschutz Hiroshima. Fünf Monate vor dem ersten
Atombombenangriff der Menschheit flog eine Flotte von B29-Bombern ein
Flächenbombardement auf die Wohngebiete in Tokyo. Die US Truppen waren
bei ihrem Angriff auf Hiroshima sehr viel "effizienter" als in Tokyo: Mit einer
einzigen Bombe töteten sie 140.000 Zivilisten, während beim Luftangriff auf
Tokyo 325 B29-Bomber im Einsatz waren, um 100.000 Menschen umzubringen.

直後、人類未曾有の惨劇がこの大都会を襲った。広島を核攻撃したエノラ・ゲイやそのクルー[註9]は米国では第二次大戦終結を早めた英雄視される事が少なくないようだ。スミソニアン航空宇宙博物館が原爆投下50周年に際し日本の犠牲者にもスポットを当てた特別展を企画したところ在郷軍人会などが反発し、解説内容が大幅に変更された事件があった。実機はダレス空港に隣接したスティーブン・F・ウッドヴァー・ヘイズィ・センター* Steven F. Udvar-Hazy Center[註10]で展示されているが、ここでも上空の高みにいた勝者の目線で爆撃の事実を伝えるのみ*で、地上で起きた惨劇については全く触れられていない。これは著しく片手落ちなので、上空・地上双方で起きた事実について、乗物に限ってではあるがささやかなweb上特別展示を試みる。

[註9] Wikipediaの写真 左から2人目が機長のポール・ティベッツ Paul Tibbets 大佐で、彼の母親の名前がエノラ・ゲイだったという。
[註10] 国立航空宇宙博物館の別館。Steven 以外は難解な名前だが、これは博物館建設に際して巨額の寄付を行ったハンガリー系の人物の名前から取った為だという。


左上下:エノラ・ゲイのB29独特のガラス張りの機首の眼下には、破壊前の
広島の最後の大パノラマが 広がっていた筈だ。(Udvar-Hazy Centerにて)  
右:島外科内科の外壁に残る碑が、この真上で原爆が炸裂した史実を伝える。
Links: der für die B29-Bomber typische Glasbug der Enola Gay
Rechts: Auf dem Ground Zero befindet sich heute ein chirurgische Klinik, die
Erklärungstafel an der Außenwand soll für die Nachwelt die historische Tatsache
festhalten, dass genau über diesem Gebäude die Atombombe explodierte.

主に日本本土攻撃用に(ドイツ空爆等欧州戦線では用いられず)3970機も量産された大型長距離戦略爆撃機、ボーイングB29の愛嬌のある団子鼻とずんぐりしたシルエットは初代新幹線0系を髣髴とさせるが、B29は0系とは似ても似つかぬ超凶暴メカだ。広島を核攻撃(人口推計35万人中14万人が死亡)したこのエノラ・ゲイに限らず、これらB29軍団は長崎の核攻撃(死者推計7万人)も遂行、更に東京大空襲にも主力として大量出撃(325機という満天を覆う大編隊で東京を念入りに絨毯爆撃して死者・行方不明推計10万超)しており、文字通り日本人の天敵だった。



B29はスーパー要塞 Super Fortress の通称に相応しく、機体最後尾の銃座から
2門の機関銃が敵機の襲撃に備えた。(Steven F. Udvar-Hazy Center にて)
Im Steven F.Udvar Hazy Center in Washington wird die Enola Gay (unten u. Mitte)
neben der Concorde (links oben), dem Space Shuttle (oben Mitte, rechts), der
Kapsel der Apollo 11-Mission (ersten Landung auf dem Mond) und weiteren
weltweit berühmten Flugzeugen und Raumschiffen der Menschheit augestellt.
Man verbindet hier also mit der Enola Gay, dem Bomber des ersten Atomangriffs
der Menschheit, Stolz und Ruhm, das der Bomber neben diesen
herausragenden Leistungen der Menschheit gezeigt wird.

同博物館のエノラ・ゲイ以外の展示物[註11]で人類的偉業級のものとしては、初の月面着陸機アポロ11号*の帰還カプセル、スペースシャトル・エンタープライズ*、史上最速マッハ7の偵察機SR71*、初の超音速旅客機コンコルド第59話参照)等があり、National Mallの本館にはライト兄弟の飛行機*、初の大西洋無着陸横断機Spirit of St. Louis号*、月の石等の人類的至宝が、ずらりと殿堂入りしている。つまり、人類初の原爆投下機・エノラ・ゲイは、これらの人類的偉業と並ぶ赫々たる国家的誇り[註12]なのだ。米国では大戦の早期終結と米兵被害極小化の為の必要悪という考えが根強く、2009年7~8月にキニピアック大学が実施した米国の世論調査では回答者の61%が原爆投下を支持したという。彼らは民間人の悲惨な被害は百も承知なので、日本側が被害の悲惨さのみを訴え続ける限り、議論は常にすれ違い続ける。

 
[註11] 特攻機・櫻花を含む鹵獲された旧日本軍機やその残骸も、B29の巨体の影にごちゃごちゃと展示されている。第32話で対日戦勝のシンボル・戦艦ミズーリを真珠湾で日本軍に撃沈された戦艦アリゾナのすぐ傍に係留保存している事を紹介したが、アメリカ人のこういう象徴的演出やメッセージのわかり易さは大衆民主主義の一つの表れなのだろう。
[註12] 入館は無料、空港からのシャトルバスも僅か50セントという「みんなおいでおいで」モードである事も、この推測を補強する。
 


Oben (Steven F. Udvar Hazy Center): Die gigantische Enola Gay überwältigt den Betrachter.
Unten (Friedensmuseum Hiroshima): Der rote Ball stellt die Position der Atombombe zum Zeitpunkt
der Explosion dar. Direkt darunter die Atombombenkuppel (bis 8:15 Uhr am 6.8.1945: eine IHK-Gebäude).
Rechts neben dem Schatten des roten Balls das Einkaufszentrum von Hiroshima, auch heute noch Stadtmitte.
Die Karte veranschaulicht, dass das Ziel des Atombombenangriffs keine militärischen Einrichtungen waren.
Das rote Kreuz gibt die ungefähre Position des Wagens 651 zum Zeitpunkt der Explosion an.
Es ist erstaunlich, dass eine Bahn,die sich so nah zum Explosionsort befand auch heute noch fährt.

【上】:(Steven F. Udvar-Hazy Center にて):エノラ・ゲイの巨体は博物館最大級で、見る者を圧倒する。【下】:(広島平和記念資料館にて):原爆の爆発位置を示す赤球の直下に広島県産業奨励館(現・原爆ドーム)があった。同館は投下目標だった特異なT字形をした相生橋(①)に面しており、攻撃が正確に行われた事を示す。同橋は紙屋町や八丁堀という市の中心街(②)から徒歩数分の近さであり、攻撃目標が軍事施設では無かった事もわかる。③は後述の651号車の大体の被爆地点だが、こんな間近で原爆の直撃を受けた電車が今も動いているというのは驚異的だ。



Oben: Der Wagen Nr. 651, der in der Nähe des Explosionsorts („❸“ des vorhergehenden Fotos),
Opfer des Atombombenangriffs wurde, entgleiste und völlig ausgebrannt (Quelle: Wikipedia). In der
Nähe des Explosionsorts betrug die Temperatur 3-4000 Grad. Die Druckwelle erreichte mit einer
geschätzte Geschwindigkeit von über 440m pro Sekunde (1584 Km/h) Überschallgeschwindigkeit.
Ca. 80 Fahrgäste und Personal verbrannten. Laut Zeugenangaben verkohlten das Personal in ihrer
Diensthaltung und die stehenden Passagiere teilweise mit der Hand an den Handschlaufen.
Unten: Der wiederhergestellte und klimatisierte Wagen Nr. 651 fährt Punkt ❸ unauffällig vorbei,
doch handelt es sich hierbei durchaus um einen Wagen mit höchstem historischen Wert.

被災車のうち、1942年製造のボギー車650形の初号機、651号車は爆心地Ground Zeroから僅か700mの宇品線中電前付近(市役所前付近とする資料もあるが、隣駅なのでおそらくその中間を走行中だったのだろう)で被災、乗員乗客約80名が熱死した。爆心地付近の地表温度は3~4000度、爆風は秒速440m(時速1584km)以上の超音速だったと推定され、目撃証言によると651の乗務員は勤務姿勢のまま、立客は吊革につかまったまま炭化していたという。電車の中で多くの亡骸が無言で静かに立ち尽くす様子は想像を絶する。車両中央部で大人に囲まれて立っていた中学生1名が奇跡的に助かったというのが唯一の救いだ。【上】:被爆数日後に撮影された651号車(出典:Wikipedia)。【下】:見事に復活し、被爆地点とほぼ同地点である中電前付近を最新型車に交じって走る651号車。正に走る歴史遺産だ。



Oben: Rekonstruktion der Gegend um die Atombombenkuppel „before“ und „after“. In der rechten
Ecke ist die T-förmige Aioi-Brücke, das Ziel der Atombombe (Friedensmuseum Hiroshima).

【上左右】:核攻撃前後の原爆ドーム付近の再現模型。手前の元安川と奥の太田川に挟まれた中州は現在平和公園になっている。右端に原爆投下目標となった相生橋の南端が見える。(広島平和記念資料館にて)。【下】:おりづるタワーからは相生橋のT字構造が良く分かる。5000形と5100形も見える。Wikipediaの相生橋の解説*には、終戦直後に米軍が撮影した相生橋のカラー動画がリンクしてある。



Der A-Bombenopferwagen 651 fährt über die Aioi Brücke, das Angriffsziel für
die B29-Besatzung, vorbei, und erreicht die Haltestelle „Atomic Bomb Dome“.

相生橋を渡り(上)、原爆ドーム前駅に到着する(下)651号車。現在、同車は平日朝の波動輸送用に運用されており、実際の運行の有無・時刻は当日早朝にならないとわからない。車齢75年(本稿最終更新時現在)の651は新製後3年目で被爆したので、被爆後の車歴の方が被爆前より遥かに長くなった。651以下650形の僅かな生き残り車両群は、語り部電車としての役割こそが主要任務になったのだ。

652は爆心地から3キロ離れた宇品で被爆した為被害が軽く、被爆後僅か10日前後で運転を再開、653と654は江波で大破したが共に復活、653は2015年に被爆当時の塗装に戻されたうえ運転席背後に液晶モニターが取り付けられ、イベント電車としての役割が与えられたようだ。654は広島市交通科学館*で静態保存、広島駅前で被爆・全焼した655 は復活したものの事故廃車となった。2軸車では150形156号は江波で中破したが復活、157は原爆投下時宮島にいたので無事だったが、老朽化で廃車されたが台車はレプリカ車101(本稿前半のハノーバー車の下の写真は101の車内から撮影)に流用された。



651号車はまだ仕業表に載っている(左上)が、雨樋付近は劣化し
(上右)、板張りの床はたわみ、窓枠の影も歪んで見える(中・下)。
Die Arbeitsanweisung im Depot Senda (Oben Mitte) zeigt, dass die 651
auch heute noch im Einsatz ist, auch wenn die Karosserie
inzwischen teilweise sehr mitgenommen aussieht (Mitte/Unten).

核攻撃を受けた上車齢70年を超えても現役の651等も凄いが、走る歴史遺産としての価値を認め、コストをかけて動態保存を行っている広電こそ賞賛に値する。広電は原爆投下の早くも3日後には己斐・西天 (長崎には保存車は無く、また熊本電鉄のいわゆる「被爆電車」モハ71は原爆投下日は遠く山口にあり、その同型車(現存せず)が横川駅で被爆したというだけに過ぎない)満町間で(年末までには全線で)運転を再開し突然一面の廃墟と化した町*で途方にくれる生存者を勇気付け、また毎年8月6日8時15分には爆心地跡付近の電車を全車停車させ乗務員・乗客が1分間の黙祷を捧げたり等、広島市民や平和への貢献の度合は一鉄道会社の範疇を超えている。

 
3 三本の矢
 

旧式車両の動態保存という点で広電と志を同じくする路面電車が、アメリカにもある。



【上左】:世界各国のオールドタイマー達が行き交うサンフランシスコ市電F線。後続車から見た先行の旧
ミラノ車と、旧ニューヨーク市電PCCカー(左の対向車)。【下】:故郷のミラノで今日も現役のVentotto。
Ebenso wie in Hiroshima gibt es auch in den USA, die Hiroshima damals
zerstörten, Bestrebungen, alte Wagen im fahrtüchtigen Zustand zu bewahren.
Die Linie F der Straßenbahn in San Francisco ist berühmt dafür, historische
Wagen aus der ganzen Welt zu sammeln und fahren zu lassen. Auf dem
Foto links das PCC Car, rechts Ventotto aus Mailand (s. Ausgabe Nr. 35)

サンフランシスコ市電のF線 も世界中の名車を集めて動かせているので有名だ。同線の主力は、古き佳き米国の流線形のPCCカー*と旧ミラノ市電の名車ヴェントット*Ventotto(イタリア語で28、1928年製造開始、第35話*参照)だ。ヴェントットの車内にはウシータUscita(出口の意。全く偶然だが本稿の主取材地、広島にもウシタ(牛田)という地名がある)等、イタリア語の原語表記に英訳を付しただけの標識が多く残るが、SFの潮風を切って走る異邦人はこのオレンジ色の角張ったイタ車だけではない。



【上】被爆地点の中電前付近を行く651。この貴重な車が事故で失われないと良いが。
Wagen 651 und 652, die im Depot Senda der Hiroshima Electric Railway ruhen. Im
Hintergrund die alte 578 aus Kobe, dessen Schwesterwagen von Hiroshima weiter
nach San Francisco verreiste. Dort findet man auch alte Wagen der Hamburger
Straßenbahn. Man kann nur dem Schicksal danken, dass man in einer Zeit geboren
wurde, in der in den USA heute friedlich Wagen aus den ehemaligen Feindesstaaten
der USA - Japan, Deutschland und Italien – fahren, wo die USA doch nur vor knapp
70 Jahren Millionen von Zivilisten in den Städten ihrer Feinde töteten.

【下】:広電千田車庫で憩う被爆車両651・652の背後の緑の濃淡の車両は神戸市電からの移籍車570形だが、このうち578号車が広島から更に太平洋を渡ってサンフランシスコ市に再移籍*した。ドイツからも旧ハンブルグ市電*がF線のコレクション入りしている。ほんの半世紀前は大量殺戮も躊躇しなかった旧敵国・日独伊の電車が、アメリカで仲良く集う平和な光景を見る事のできる時代に生まれ合わせた幸運を思わずにはいられない。



Eine deutsche Bahn mit Slogans aus Kriegszeiten auf englisch und etwas
italienisch erreicht den Bahnhof Atombombenkupppel. Auf diesem Foto
sind vier Länder - Japan, Deutschland, Italien und die USA abgebildet.

産業革命以来第二次大戦頃まで列強は軍事力で市場を確保したが、当時より遥かに巨大な共通市場が、今日ボーダーレス経済という形で平和裏に実現された。この史実は、破壊ではなく自由で公正なルールを共有したうえでの競争こそがライバル間の緊張を克服する最良の選択肢である事を示している。広島のJリーグ、サンフレッチェ San FrecceはSan = 3とFrecce(イタリア語で矢の由)から成る造語で、安芸の英雄・毛利元就*が3人の子に「矢は1本では弱いが3本まとまると折れにくい」と、結束の重要性を諭した故事にちなむという。戦国大名家の兄弟は家督を巡って生まれながらのライバルでもあるので、この格言は一陣営内部の連帯だけではなく、ライバル同士の理想的関係は相互の破壊ではなく競争的協働にある事も暗喩していると考えれば、更に味わい深くなる。

平成の世に戦国時代の標語を一部イタリア語で踊らせたドイツ製の電車がアメリカ軍機に破壊された日本の昭和史跡の傍らを行く、時空の広がりを感じさせる上の写真を、今号のトリの絵とする。


次号はメークロンの線路上折り畳み市場をご紹介する。
Nächster Halt: Maeklong, Thailand

 
(2009年8月)
 
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本連載の画像・音声・動画は引用注記の無い限り筆者が撮影・録音。
資料は各脱稿日現在の該当会社・団体のHP、WikipediaWebsite über die schnellsten Züge der Welt 各所掲のデータを参照したもので、それ以上の検証は行っていない。
意見にわたる箇所は全て筆者の私見である。
   
 
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