Trans Eurasien Expreß seit 2002

 
erscheint z.Zt. vierteljährlich und behandelt bedeutende und/oder interessante Eisenbahnen und sonstige Transportmittel in der Welt, mit Vergleichen zwischen Japan und dem Ausland, Geschichts- und Kulturvergleichen - je nach Thema der Ausgabe. Alle Fotos, Ton- und Videoaufnahmen wurden vom Author selbst aufgenommen, soweit keine fremde Quelle ausdrücklich vermerkt ist.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
42. 露都の地底に広がる現代史の大史跡

- モスクワのメトロは共産バロックてんこ盛り -
今回の取材地:
ロシア
フランス フィンランド

総延長300km超・乗客約650万人/日というモスクワ地下鉄は、総延長約330km・乗客約870万人/日の東京 (東京地下鉄・都営地下鉄を含みJR地下線区間を除く) に次ぐ世界第二の地下鉄網だ。地上のロシア鉄道と同じ1520mmの超広軌 (新幹線の1435mmよりも広い) だが、車幅は見た感じ日本の在来線と変わらない狭さだ (足回りの共通化による量産効果と、トンネル断面小型化による建設費抑制との兼ね合いから、車体幅に不釣合に広い台車を履く事になったのだろう)。だがモスクワの地下鉄の特色はこうした数字や規模ではなく、初期の駅の建築美にある。



暮れなずむ町に浮かび上がるメトロの標識(左)とトヴェルスカーヤ駅
地上出口(右)。一時は体制急変に伴う超インフレ等の混乱で年金生活者の
立ち売りや物乞いが地下通路両側にびっしり並んで異様な雰囲気だった。
最近は落ち着いたが、今度は所得の急増で道路の渋滞が深刻化している。

1935年に最初の区間 (クレムリンに近いアホットヌィ・リャド Охотный ряд とスモレンスカヤ Смоленская の間) が開通して以来今日も延伸工事が続くが、1991年の共産体制崩壊以前に造られた駅には独特のイデオロギー装飾が施されている。上の写真の駅の近くにはマクドナルド Макдоналз 旧ソ連1号店や、駅から徒歩数分の所に ロシア現代史博物館 Музей современной истории России* がある。しかしソ連時代の駅の装飾は歴史遺産として保存されている為、これらの駅そのものも皆現代史博物館のようなものだ。本稿では全て「駅から徒歩0分」の、地上の道路渋滞を横目 (上目?) に極めて効率的に回れる「現代史博物館」群を見てみよう。

 メトロ標識の地下には、何気ない地上出口からは想像できない古く広大な地下宮殿のような空間が広がっている。この落差の大きさは、駅によってはインディ・ジョーンズさえ連想させる。写真上は右の赤旗のレリーフの下が切符売場、中央に年代物の自動改札、左側のアーチが長いエスカレーターの上端だ。モスクワの地下鉄駅の意匠は駅毎に異なるが、構造は基本的に共通で、島式ホームを2列の列柱で3列に仕切り、線路に面した両端の列が乗降ホーム、2列の列柱に挟まれた中央通路の端には地上に通じるエスカレーターがある。写真中はプロスペクト・ミーラ ПроспектМира (平和大通り) 駅の中央通路 (この両側が乗降ホーム)で 、一番奥の暗闇は3列のエスカレーターの麓側、写真下は中央通路から見た乗降ホームだ。


第三軌条方式なので架線という視覚的ノイズが無く、美しいデザインの駅天井
を端まで見通す事ができる。直流825Vという電圧は路面電車に近い低さだ。
 長らく主力だったこの形式は、白熱灯に一部木製の車内・釣り掛けモーター駆動という、技術的には映画「ALWAYS三丁目の夕日」の時代の旧国鉄72系に相当する印象の旧式車だ。本稿末尾でご紹介する傑作ビールレストラン「メトロ」もこの形式の廃車体を元にしている。旧ソ連圏の地下鉄にはブダペスト・キエフ・タシケント第12話 参照) で乗る機会があったが、いずれもこれかこの一つ次の世代の車と同型だった。これも計画経済なのか、旧ソ連圏あまねくできるだけ同じ形式を長く作り続けようと試みていた事が窺われ、かつての日本で犬も歩けば当たるくらい量産された旧国鉄103系に相当する役回りのようだ。しかし103系がその汎用性ゆえに無個性だったように、この形式もおそろしく無愛想だ。モスクワ地下鉄の特色は電車では無く駅施設の装飾にあるので、まずいくつか美しい駅をご紹介する。
 
1. 主要駅紹介
【コムソモーリスカヤ Комсомoльская 駅】 宮殿的絢爛さを誇る駅の最右翼 (ソ連時代の駅なので最左翼と言うべきか) と言えば環状線のこの駅だろう。大理石の列柱とアーチの連続は美しく、地底の宮殿の観がある。同駅のテーマはレーニンのとある演説内容だという。大型照明の根元には大きな赤い星が燦然と輝き (写真左下)、ホーム中央通路奥の壁には (ソ連時代は西側世界からの訪問者を十分畏怖せしめたであろう) 赤地に金色の巨大な鎌と槌が鈍い光を放ち、その下にはレーニン像が鎮座ましまし威風辺りを払っている (写真右下の右下辺り)。停車中の車両は欧州スタイルの最新型プラグドア車で、ソ連崩壊後の車なので先頭近くの赤いマークは (鎌と槌ではなく) モスクワの市章 (龍を刺殺する聖ゲオルギウス)(写真右上)。宮殿の回廊を電車が走っているかのようなシュールな光景だ。
【アルバーツカヤ Арбатская 駅】 楕円形の天井にブロンズ製のシャンデリアと花模様のレリーフが美しいこの駅の装飾は、共産時代建築の主要駅にしては珍しくイデオロギー臭が無い (スターリンのモザイク画があったそうだが現在は撤去されている) が、その華やかで政治的に無色なファサードとは裏腹に負わされている危機管理の役割は重い。Wikipediaによると3号線の同駅は少し離れた所にある旧駅が1941年のドイツ軍の空爆で被災した経験を踏まえて1953年に新設されたもので、再攻撃、とりわけ核攻撃を受けても耐えられるように地下41mと深く、かつ避難所ともなり得るよう広く設計された由 (註1) 。核シェルターが役に立つ最悪の事態で避難民が置かれた極限状況を想像しながら深読みすれば、イデオロギー臭を抑えた理由がぼんやり見えてくる。エスカレーターは長く速いが、駅の位置が深いだけに木製なのが気になった (地下鉄の全面禁煙のきっかけとなった、1987年に31人が死亡したロンドン・キングスクロス駅の火災事故の原因は当時木製だったエスカレーターへのタバコの投げ捨てだった)。旧駅・キエフスカヤ間はこの深い新線の完成後廃線になる予定だったが、旧線は結局再建され4号線の一部となり、この区間は複々線となった。モスクワの乗換駅は線が違えば駅名も異なるのが原則 (例えば本稿2枚目の写真は2・7・9号線の乗換駅だが、それぞれトヴェルスカヤ・プーシキンスカヤ・チェーホフスカヤと別名を持つ) だが、アルバーツカヤ・スモレンスカヤ・キエフスカヤが3・4号線共に同じ駅名なのはこういう由来からかもしれない。
 
(註1) 地下41mで核攻撃に十分かは知らないが、原爆の爆心地から僅か700mで被災して現在も営業運転に供されている広島電鉄の猛者651形については33話参照。日本の地下鉄最深駅は都営地下鉄大江戸線六本木駅1番線の42mだが、こちらは核シェルターの為ではなく、既存の地下鉄等の構造物を支障しない為に深く掘らざるをえなかったに過ぎない。モスクワ最深は3号線パルク・ポベディ Парк Победы 駅の地下84mと六本木駅の倍の深さだが、高速エスカレーター1本で移動できる。

英語版 Wikipedia* によれば、モスクワが核攻撃を受けた場合に高級軍人と任意抽出の市民が避難できるように、Д6 (D-6) というコードネームの下にクレムリンと国防省等を結ぶ単線の大深度地下鉄 (米側呼称Metro-2) が軍の管轄下で建設され、ロシア国立図書館・モスクワ国立大学 МГУ*・「最低2か所の一般用メトロ駅」にも秘密の乗降口があるという。007もどきで真偽不明だが、駅に核シェルター機能を持たせてしまうこの国に限ってはあながち都市伝説とも思えない。もし本当ならD-6はクレムリンからМГУのある南西方向に延びている筈で、その想定区間内で既にシェルター機能を有し、かつ最大の乗換駅といえば1・3・4・9号線が交わるこのアルバーツカヤだ。倉庫やトイレの奥とかにさり気なくある、施錠され埃まみれで誰も用途を知らない業務用収納庫のドアのようなものが、実はD-6に通じる秘密の扉だったりするのかもしれず、忍者ハウスのようでちょっと面白い。


【キエフスカヤ Киевская 駅】 同駅の中央通路 (写真左下) は博物館的雰囲気が特に強いが、絵は内容 (レーニンと軍隊を称えるモザイク壁画が多い) は勿論、額縁 (農業を象徴する麦のデザイン)に至るまで共産イデオロギーのプロパガンダの塊で、機能的には革命博物館といっていい。撮影は2011年で、跨線橋から発車する電車を撮影した1996~8年頃 (写真右下) と比べると、照明が白熱灯から昼光色蛍光灯に変わっているので受ける印象が随分変わった。パリの オルセー美術館Musée d'Orsay* は廃駅となったオルセー駅を改造したものだが、モスクワの方は乗客がひきもきらぬ現役の駅であるのと、展示内容が特定の政治目的を持っている点で大きく異なる。パリ繋がりで付言すると、キエフスカヤ駅が接続するロシア鉄道キエフ駅 Киевский вокзал の北側出口にはギマール Guimard がデザインしたパリのメトロのアール・ヌーヴォー式ゲートのレプリカがある 第18話5枚目右の写真)
【マヤコフスカヤ Маяковская 駅】 革命詩人の名を冠した同駅の切符売場ホールのアールデコ風の天井灯は、鎌と槌・麦の組み合わせが全体として星の形になっているという凝りようだ。ホームはモダンにまとめてあるが、これも上を見上げると共産イデオロギー満載の天井画が連続し、その天井画を囲む照明群は「星」と「鎌と槌」のシンボルを交互に照らし上げているという徹底ぶりだ。
【エレクトロザヴォーツカヤ Электрозаводская 駅】 「電気工場」という駅名に違わず、電気がテーマになっている。左右の石の壁には彫刻が並び、恰も古代ギリシャかローマの彫刻のようだ。但し並んでいるのは神々ではなく労働者達だが、写真左下のレリーフは電気工場というより兵器工場で戦車を組み立てているように見える。写真右下は同駅の照明取付器具だが、定番の「鎌と槌」のレリーフの両側にあるピカチュウの尻尾のような図柄は電気をシンボライズしたものだろう。
【パルチザンスカヤ Партизанская 駅】 同駅の階段上からは、マトリョーシカ人形のような頭巾をかぶったおっかさんや幼い息子まで武装した一家の巨像 (写真左上) が3線のホームを睥睨する。装飾タイル (写真左下・右) のデザインの多くが草むらや藪と銃剣の組み合わせなのも、パルチザンのゲリラ的戦闘様式にちなんでいるのだろう。
【革命広場 Площадь Революции 駅】銃を構えた兵士が警戒する像が林立する異様な雰囲気の革命広場駅には、平服のまま猟銃を担いだ義勇兵 (写真右上) や、慣れぬ銃を抱え何かのバッジを大事そうに確認する少女兵の像 (写真上 左・中) もあった。乗換通路の革命戦士の像 (写真下) は、赤軍旗を掲げ、全員軽機関銃を携行し、女性兵士のベルトにも星マークとものものしいが、共産体制が崩壊した今日では観光客の格好の被写体になっている。


モスクワ(左)とパリ(右)、それぞれの革命広場駅。
革命という一大社会現象の表現の仕方には、お国柄が強烈に現れる。
このように武力を前面に出すロシア (「坂の上の雲」の中にはロシアという国の統治には武威が不可欠という趣旨の記述が繰り返し見られる) とは対照的に、フランス革命の際にルイ16世とマリー・アントワネットが断頭台で処刑された革命広場 (現コンコルド広場) の地下にあるパリのメトロ12号線コンコルドConcorde駅で、壁面から天井一面に張られている一見ランダムなアルファベットのタイル (写真右) は、憲法制定国民会議が起草した人権宣言のテキストだという (多少のデフォルメはあると思われる)。フランス革命の象徴として (過程としての暴力では無く) 新しき世の法体系の根本価値を宣言した文書を選ぶ辺り、法治に高い価値を置く西欧らしい。
【クルスカヤ Курская 駅】 この駅のロシア鉄道側ホールも美しい。ギリシャ神殿のドーリア式?列柱と遠近法を組み合わせて大きく見せた荘厳なホールに無数の共産主義のシンボル (当駅では星が多用されているが、とりわけシャンデリア中央の赤い星が目立つ) を組み合わせ、共産神殿的な雰囲気を醸し出し、スターリン賞なるものを取ったという。同駅中央ホール上部に並ぶ石像の下にはレーニンのみならずスターリンの名も残っている。
駅名はクルスク (ロシア南西部の都市名。2000年にバレンツ海で沈没事故を起こした原潜もクルスク号だった) の意だが、同駅に接続するロシア鉄道線の駅名はクルスキーなのに地下鉄の方はクルスカヤ (キエフ駅も同様にキエフスキー・キエフスカヤと区別、他の乗換駅も同様) と区別される。これは駅名の多くが名詞ではなく形容詞で、その後に省略されている名詞の「駅」が男性名詞のヴァクザルか女性名詞のスタンツィヤかに応じて形容詞が語尾変化する為だ。ヴァクザルとスタンツィヤの違いについてロシア人の知人に確認したところ、地上の大きな駅がヴァクザルで、それ以外は (地下鉄の終着駅や地上の小駅も含めて) スタンツィヤだという説明だったので、スタンツィヤはstation、ヴァクザルはgrand stationといったところか。確かにモスクワのメトロの駅名の多くは、トヴェルスカヤ・マヤコフスカヤ・プーシキンスカヤ等、女性名詞に接続する形容詞だ。
【タガンスカヤ Таганская 駅】 Wikipedia*によると同駅のテーマはソ連赤軍の兵士を始めとするロシア史上の戦士達の姿を描いたものだという。唐草模様と銃剣と空軍パイロットのような奇妙な組み合わせが多い。しかし駅全体の雰囲気はトルコのグランドバザールというか、中央アジアのモスクかメドレセのような雰囲気すら漂わせている。照明の中心の紺に白玉模様はウズベキスタンの陶器に通じるデザインだ。ホームの端にはかつて若者に囲まれるスターリン像があったそうだが、現在は撤去されている。エスカレーター上のホールもモスクのような雰囲気で、遠近法で実際より高く見せた天井の中心には夜空が描かれ、虚空の中央にはソ連の旗が浮かんでいる。
【パヴェレーツカヤ Павелецкая 駅】白い大理石のアーチの連続が美しいが、柱上部のY字スペースには鎌と槌と星と農作物という共産主義のシンボルがびっしり作り込まれている。同駅はロシア鉄道駅パヴェレツキー駅Павелецкийвокзалに接続しており、そこからドモジェドボДомодедово空港 (DME、老朽化したシェレメーチェヴォ空港に代わって日航もここを使うようになり便利になった) まで30分毎に真紅のシャトル列車 アエロエクスプレス Аэроэкспресс*(写真下)が出ている。
【パルク・クルトゥールィ Парк культуры 駅】 文化公園の名の通り、バレエ・音楽等を題材にしたレリーフが並ぶ。この駅も壁と柱には大理石が奢られ、その落ち着いた配色がレリーフ類を引き立たせている。イデオロギーを前面に押し出したデザインの多いスターリン様式の駅の中では品の良さが光る。
 
2. テーマ別ギャラリー
【農・工業関係】 「労働者と農民」は共産主義の正統性にかかわるだけに、農業と工業を象徴した絵やシンボル類はそれこそ枚挙に暇がない。上段はキエフスカヤ駅の壁画とマヤコフスカヤ駅の天井画の例だ。これに対して下段のようにレリーフの場合は、農工業は「鎌と槌」や「麦」に単純化して表現される。写真左下は通風孔の例だが、スリットとスリットの間の僅かな隙間に麦のレリーフが作り込まれている芸の細かさだ。
上段は照明取付器具と列柱上部の装飾、下は地下通路入口上部のアーチの装飾で、これでもかと手を変え品を変え現れる。鎌と槌・麦・星の4点セットは地上でもモスクワ川にかかる大カメンニ橋の欄干やボリショイ劇場の装飾モティーフ等、至る所で見る事ができる。筆者の学生時代の (数少ない) 得意科目の一つは政治学だったが、国民の政治教育の要諦は毎日繰り返し繰り返しすり込んでいく執拗さにあると習った記憶がある。ソ連時代のイデオロギー装飾のこの徹底ぶりは、政治学的手法を教科書通り忠実に実践しているだけの事なのかもしれない。
【乗物】 乗物も結構描かれているが、航空機が圧倒的に多い。「新しい時代」をアピールするには当時最先端技術だった航空機こそ相応しく、煤煙臭い鉄道では訴求力不足と判断されたか。中でも軍用機が大半を占めるのも大きな特徴だ。上段左端はマヤコフスカヤ駅の天井画で、1961年にガガーリン Гагарин 大佐が人類初の有人宇宙飛行に成功したヴォストーク (東) 1号 Восток-1 の大気圏再突入カプセルではないかと思われる。下段は比較的珍しい鉄道の絵の例だ。右の機関車を良く見ると、駅員に上から目線で挨拶している男は勲章を胸に光らせた軍人だし、その向かって右側には鎌と槌のシンボルが描かれている。
【神話的描写】 革命を神話的に表現した絵もある。下から天を見上げる独特の構図のマヤコフスカヤ駅の天井画 (写真左・上下) もそうだし、上述のエレクトロザヴォーツカヤ駅のように古代ギリシャや古代ローマの神殿を連想させる大理石の彫刻もある。最近の例では2011年11月にモスクワの救世主ハリストス大聖堂で「聖母マリアの帯」が公開された時は延べ数十万人が氷点下の中を最大26時間待ちという大行列ができた程ロシア人の信仰心は篤い。当時のプロパガンダ担当者は自国民のこの信心深さとどこかで折り合いをつけようとしたのだろうか、ロシア正教が共産政権下で冬の時代を経験した (救世主ハリストス大聖堂もソ連時代に爆破されプールになっていた) 事を考えると興味深い。共産主義の神話的表現で筆者が知っている限りで最も典型的な例はラディッソン・ロイヤルホテル (註2) のロビーの天井画 (写真右下) だ。たわわに実った麦を抱える女神のような女性の周りで人民が革命を祝う構図で、何を言いたいかわかり易い。
 
(註2) 写真右上。このスターリン・ゴシック様式の宿はかつてホテル・ウクライナと称し薄暗くがらんとしていたが、ベルギーの Rezidor Hotel Group 傘下となり2010年にリニューアルしてから同じホテルとは信じ難い程明るくモダンになり、タワー部分には何と日本レストランが入った。反面独特のソ連的雰囲気は失われたが、この天井画その他のイデオロギー装飾は残されている。道路の三色の電飾は現在のロシア国旗の色だ


市場経済となったロシアを見つめるレーニン。想定外の展開を嘆く渋面の
ようにも、皆が豊かになればそれで良いと微笑んでいるようにも見える。
【レーニン像】 共産政権崩壊後、多くのレーニン像が倒された東欧諸国とは異なり、ロシアではレーニン像は随所に残っている。わが国でも明治維新直後、多くの城が徳川体制のシンボルとして破壊されてしまった。揺り戻しの可能性がある間は、旧体制のシンボルの破壊は新体制への移行を確実なものにする為にやむを得ないとしても、歴史遺産の破壊は一度行うと取り返しがつかないし、江戸時代の城郭を保存したからといって幕藩体制の信奉者という事にはならない。その意味で共産時代のプロパガンダ装飾を歴史遺産として保存する判断は十分理解できる。だがさすがにスターリンの像や絵画は見た事がないし、赤の広場のレーニン廟でもスターリンの遺体は撤去された。極めて自由で民主的な法制を持つドイツですら、公の場でヒットラーやその思想を賛美する行為は現在でも刑法上の犯罪 (民主的法治国家危殆化罪、第8話参照) だ。「既に歴史の範疇」か「現在でも否定すべき脅威」かの線引きは微妙のようだ。
【星の嵐】共産主義を象徴する赤い星の絵やレリーフ類は、上記のクルスカヤ駅に限らずそれこそ星屑のように無数に散らばっている。写真左上は駅の乗換通路 (駅名失念) の壁の貝のレリーフの中央にも星が彫り込まれている。写真中左はノヴォスロボーツカヤНовослободская駅の赤い星を中心にした珍しいステンドグラスの例 (ステンドグラスは欧州の技術なのでラトビアから取り寄せたという)。車内に歴史を紹介したパネルを掲出した特別編成のドア脇には巨大な赤い星がバーンと張り付けられている (右上)。ルビーでできているというクレムリンの赤い星は、共産体制を一擲した今も夜は美しく輝く。軍事博物館の赤軍時代の遺品はもっと執拗で、潜水艦の魚雷発射機の蓋にも(中右)列車砲の車輪にも(下)赤い星が整列する。後者は射程50キロ・口径30センチ強という巨大な列車砲で、16軸の赤星付の車輪が支えた。「坂の上の雲」で大砲を重視するロシア陸軍の火力の恐ろしさが何度も強調されていたのを思い出した。
【日露戦争関係?】クラスノプレスネンスカヤ Краснопресненская 駅には艦砲の前で気勢を上げる水兵達のレリーフがある (写真左上)。1905年は日本海海戦の年だし、バルチック艦隊 (註3) の旗艦スワロフの主砲は Wikipediaの写真* によるとこれと同じ2門なので、祖国ロシアの為に極東の海に散った水兵達を称えたものだろうか (註4) 。ちょんまげの侍が支配する封建国家だった日本が、維新後僅か40年弱で産業革命を成し遂げ(辛勝とはいえ) ロシアのような大国の総攻撃を拒止できるまでに漕ぎ着けた努力は世界史上特筆に値する偉業だ。しかしロシア帝国のラスト・エンペラー (註5) となったニコライ2世の言うマカーキ макаки (猿ども)にしてやられた方には歯ぎしりするような屈辱だったようで、ロシア現代史博物館所蔵の日露戦争のポスター (写真右上) ではわが日本は、双頭の鷲 (ロシア) と共にある女神に睨まれる、極東の島に蟠踞する得体の知れぬ醜い豚の怪物として描かれている。市西部にクロパトキンスカヤ Кропоткинская という駅がある(写真中)が、兵力・火力・装備全てに劣る日本陸軍に勝てなかったクロパトキン将軍を称える駅があるかは疑問だ。しかしろくな装飾も無く名前だけ付けてやったかのようにそっけない同駅を見ていたら、ひょっとしたらそうかもという気もする。
(註3) 同艦隊は東郷艦隊の為に対馬沖でほぼ全滅したが、聖ペテルブルグで保存・公開されている防護巡洋艦アヴローラАврора(オーロラ)号(写真下)はそのごく僅かな生き残りで、無事バルト海に戻って艦寿を全うし得た唯一の艦かもしれない。
(註4) 同年に黒海で反乱事件が起きた戦艦ポチョムキンの主砲も2門のようなので、反帝政という性格を考えればこちらかも知れない。
(註5) 鉄道とのかかわりでは、彼がエールを交換した ドイツ帝国のラスト・エンペラーが乗ったモノレール も現存する。
【(参考)現代の新駅】 共産政権崩壊後の新駅は機能本位のものになったが、一部には装飾への情熱を失っていないものもある。但しイデオロギー色はもう存在しない。例えばこのトゥルップナーヤТрубная駅は2007年の開業だが、ベンチ背後の壁にスーズダリ・ヤロスラーヴリ等のロシア各地の美しい歴史建築をステンドグラス風に表現している。写真上はキジーКижи島の顕栄聖堂Преображенская церковьを描いたもので、その下は世界遺産になっている木造の実物だ。
 
3. ビールレストラン「メトロ」
マヤコフスカヤ駅のすぐ近くに、鉄道愛好家必見の ビールレストラン「メトロ」 Пивной ресторан «МЕТРО»* がある。目玉は文字通り地下鉄車両で、モスクワのメトロでかつて主力だった旧式車を縦に両断し「車幅」を無理やり拡大してテーブルを並べている。車端の妻部に見立てた壁の中央には連結部に通じるドアまで残してあるが、勿論開かない (写真下の左端。たとえ開いても無粋なコンクリート壁が行く手を塞いでいるだけだろう)
 窓・ドア・照明・パイプ棚等の主な造作や木製エスカレーター (固定) はオリジナルのままだ。窓の外には「ロシアのビアホール Росийская Пивная」 駅の駅名板(電車は駅に停車中という想定)、地下の入口には乗換表示「ビールへの地下道 Переход в Пиву」、出口には「町への出口 Выход в Город」、いずれも本物の地下鉄駅と同じデザイン (出口表示は独特の表現まで同じ) と茶目っ気たっぷりだ。乗り慣れたメトロの車内でビールを傾け食事をするという非日常的体験を楽しむというコンセプトのようで、いわば「大人のごっこ遊び」だ。こういう徹底した凝り方は大好きで、同好の士はここにもいたかと店主の肩を叩きたくなる。この徹底ぶりは共産時代のイデオロギー装飾の執拗さに通じるものを感じるが、見方を変えれば政治教育担当者に要求された資質は、マニアックな趣味人の性向とどこかで平仄が合っているのかも知れない。


ストロガノフを注文したらマッシュドポテトのようなものが出てきた(左上)。
店の天井画に見覚えがあった。マヤコフスカヤ駅のヴォストーク1号の天井画のレプリカだ (写真左下)。「車内」に目を転じるとレーニンの顔を描いた布がかかっていた (写真右下)。おそらくモスクワっ子にはメトロと言えば共産主義装飾というイメージが深く定着しているのだろう。私のかつてのロシア人の同僚も「赤い星の無いクレムリンなんて考えられない」と言っていたが、市場経済の最先端で働き共産主義への郷愁など片鱗も無い男の発言だ。赤い星の無いクレムリンも、イデオロギー装飾の無いモスクワのメトロも、白鷺城の無い姫路のようなもので、レーニン主義や幕藩体制を信奉するかどうかとは全く次元の違う問題なのだろう。


キエフスカヤ駅に停車中のアート電車(左)とその車内(右)
 自由世界の一員となった今日のロシア連邦はこのように歴史遺産は尊重しつつも、冷戦時代に東軍の将だった過去の栄光に浸る事なく、BRICsの一角として急速な成長を遂げつつある。モスクワのメトロも今は冷房装備・アルミ車体の新型車が増え、インバーターのハイテク音を深いトンネルに響かせている。上の写真のように車内の一部が画廊となった遊び心溢れるアートカーまで登場し、通勤を楽しむ余裕も出てきたようだ。念の為ギャラリーの絵を確認して回ったが、もはやイデオロギー臭は全く無かった。

次号第43話ではフィンランド南部で保存されている、ロシア革命の破壊を免れ唯一現存するロシア皇室専用列車をご紹介する。


次号第43話は、ヘルシンキからお届けする。
Nächster Halt: Helsinki
Fahrplanmäßige Ankunft: Oktober 2012

(2012年7月)
 

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本連載の画像・音声・動画は引用注記の無い限り筆者が撮影・録音。
資料は各脱稿日現在の該当会社・団体のHP、WikipediaWebsite über die schnellsten Züge der Welt 各所掲のデータを参照したもので、それ以上の検証は行っていない。
意見にわたる箇所は全て筆者の私見である。
   
 
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