Trans Eurasien Expreß seit 2002

 
erscheint i.d.R. vierteljährlich und behandelt bedeutende und/oder interessante Eisenbahnen und sonstige Transportmittel in der Welt, mit Vergleichen zwischen Japan und dem Ausland, Geschichts- und Kulturvergleichen - je nach Thema der Ausgabe. Alle Fotos, Ton- und Videoaufnahmen wurden vom Author selbst aufgenommen, soweit keine fremde Quelle ausdrücklich vermerkt ist.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
43. フィンランドの森に眠るロシア皇帝の夢の跡

- 鉄道に見る地政学的現実 -
今回の取材地:
フィンランド
スエーデン トルコ


夢の中に出てきそうな銀一色のお籠り空間(サロン車・控室)

前号* ではモスクワのメトロの一部の駅に残るソ連時代のイデオロギー装飾をご紹介したが、今号ではロシア革命で滅亡したロマノフ王朝の皇室専用列車をご紹介する。ロシア皇室専用列車は何セットかあったようだが革命で悉く破壊・略奪され、フィンランドの車庫で保管されていた1本のみが現存し、ヘルシンキ近郊のフィンランド鉄道博物館 Suomen Rautatiemuseo* の目玉として常設展示されている。

皇帝車の壁・椅子・ソファーは黒に近い濃緑の皮で統一されている。天井は絹で覆われ、木製品はアメリカ産のウォールナット(胡桃)で、贅を尽くした拵えだが落ち着いた印象だ。この車が 第24話* でご紹介した、中世王朝絵巻からそのまま出てきたかの如く絢爛豪華な白鳥王ことルートヴィッヒ2世専用の王室車 Hofwagen と同じドイツ製である事を知ると、とりわけそう感じる。この皇帝車以外はフィンランド製で、整備の関係上製造元のフィンランドの車庫に保管されていた事が幸いし、ロシア革命による破壊を免れた。このフィンランド編成は全6両で他に食堂車・厨房車・暖房車もあったが、これらは現存しない。

皇后車はロシア人の好む水色がベースだ。急停車の際にも皇后の安全を守るべく、壁全体は輝く水色の絹で覆われ、ベッドの前後には天井まで達する保護ネットが張られている。皇帝車の濃緑、皇后車の水色、サロン車の赤、同控室の銀、と各部屋毎に一つのテーマカラーで徹底するとなかなか見応えがある(ルートヴィッヒ車もサロン室が青、控えの間が赤、寝室が緑と一応テーマカラーは決まっていたが、金色を始め多くの色を動員し過ぎたので、5分も眺めていれば疲れてしまう程だ)

毒々しいまでの赤色で統一されたサロン車。折り畳み式のゲーム用テーブルも見える。この列車の最後の乗客だった筈のニコライII世は日本との因縁浅からぬ男だ。皇太子時代、シベリア鉄道起工式の臨席ついでに訪日し大津市を人力車で通過中に現職警官のテロに遭って負傷し、日露戦争では兵力比で負けるはずの無い新興の小国・日本に陸戦・海戦共に負け、帝国軍の武威の失墜も遠因となって共産革命の成功を許し、革命政府が派遣した処刑隊によって地下室で一家・料理人・女中ともども銃殺されてしまった。バルチック艦隊(ロシア側呼称は第2・第3太平洋艦隊)が、遥かウラジオストック第9話参照)を目指して出港したリバウ港のある現ラトビア・リエパーヤ Liepāja 市は、バルト海を挟んでストックホルムの対岸にある。

【左上】皇帝車の外観。現役当時は車体中央にロシアの象徴、双頭の鷲の黄金のエンブレムが輝いていたという。【右上】ドア付近の唐草模様的装飾。ルートヴィッヒ2世の専用車の同じ個所の装飾がより精密で金色に輝いている事と比べると、垢抜けない印象を受ける。【左下】皇帝車屋根上の雨樋隠しと風見鶏式の煙突。この雨樋を覆う装飾もルートヴィッヒ車では金色で、そのすぐ下には金色の天使の彫物がずらりと並んでいる。この地味路線はロシアの宮殿装飾がロシア正教的な極めて華麗な金色を好んだ事を考えると奇異な印象すら受ける。【右下】資料として展示されていた8軸の大型皇室車の見取図。解説がフィンランド語のみで係員もいなかったので計画だけだったのか現存したのかわからず仕舞だった。


右上:満天を黒雲(ロシア)が覆うが、遠く水平線の辺りは青空が見えている。
いつかはこの暗黒の異民族支配が去るという希望を象徴してるようだ。

ヘルシンキ中央駅の西にある フィンランド国立博物館 Suomen Kansallismuseo* の展示物は、強大な隣人に圧迫され続けたフィンランドの苦難の歴史も後世に伝える第15話で挿入した珍しい北欧神話のフレスコ画もこの中央ホールにある)。【写真右上】天を覆う暗黒の雲から襲いかかってきた双頭の鷲(ロシアのシンボル)が、女性が守る LEX (ラテン語で「法」) と書かれた本を食いちぎっている。ロシアに支配されつつも守ってきた自治権すら奪われ、1899年にニコライII世治下のロシアによって憲法を停止されてしまったフィンランド人の絶望と怒りを表わす絵だ。【写真左上・下】解説文によると1842年ドイツ製のビーダーマイヤー Biedermeier 様式のこの玉座はロシア皇帝がフィンランドを訪れた際に用いられ、アレクサンドルIII世の時はハンコ Hanko 駅1等待合室に置かれたという。強大なロシア帝国の威光をフィンランド人に見せつけようという意図はわかり易いが、鷲のアームレストの凶悪な風貌はやり過ぎだ。この趣味の悪さはインディ・ジョーンズの映画に出てくる悪の王国の玉座にしか見えない。

【写真上】ロシア皇室列車以外も興味深い展示が多い。3等(左)と比べると2等客室(右)の方は壁に厚手の布が張ってあるうえに出入口が二重ドアになっており、冬の厳しさがわかる。シートボックスの足許に置いてある白い容器は何とタンツボだ。【写真下】博物館のショップには「床に唾を吐くべからず」をロシア語・フィンランド語・スウェーデン語で3か国語表記した警告板のレプリカがあった。当時の民度もさる事ながら、ロシア語が最上位に置かれているところにロシア語を強制された当時のフィンランドの悲劇を見て取れる。

フィンランドの歴史をもっと遡ろうとすれば、その特異な言語を避けて通る事はできない。欧州の言語は大体3グループ (独・英以北系、ラテン系、スラブ系) に分かれ、各グループ内では相互に方言程度の差しかない場合が多い (最初のグループを例に取ると「ありがとう」は英 Thank you ・ 蘭 Dank u ・ 独 Danke ・ デ Tak ・ 瑞 Tack という具合だ)。しかしフィンランド語はこれら全てのグループと異なり、全くちんぷんかんぷんだ (大体 a と ä が連続する綴りなど、他には「ナウシカ」の海外表記 Nausicaä でしか見た事がない)。こういう周囲から隔絶した言語圏を言語島 (language island / Sprachinsel) というそうだ (日本もそれに入るだろう) が、欧州の大きな言語島はフィンランドとハンガリーだ。筆者のフィンランドの知人はフィン Fin 族とフン Hun 族の名称の類似性や人間の根源的な用語で似ている単語が多い事から、アジアの同一部族が西への移動の途中で南北 (註1) に分かれて現フィンランドとハンガリーに落ち着いたのではという仮説を唱えている。もはや who knows の世界だが、興味深い。

 
(註1) 東西にも別れたのかもしれず、日本人的にはこちらはもっと興味深い。ハンガリー語と日本語・韓国語は文の構造上語順や人の姓名の順が同じ、日・洪間では水=ヴィーズ、塩=ショ、良い=ヨー、席=セーク、わた=ヴァータ、起こす=オコーズ、頃=コル、叱る=オコル、独りでいる=クツォログ、韓・洪間でもアボジ(父)≒アプツィ(父ちゃん)、アッパ(父ちゃん)≒アパ(父)という具合に偶然とは思えぬ類似性があるそうだ。遠い昔ユーラシアのどこかで東西に分かれた部族がそれぞれ流れ流れて、子孫が中欧(上記の説が正しければその支流が北欧にも)や極東の地にまで辿り着き、それぞれの地の先住民に合流したのかもしれない。


イスラム建築の金字塔、壮大・清冽なブルーモスク(右上)があるイスタンブールはボスポラス海峡
(左上)の欧州側にある(対岸はアジアだ)。アヤソフィア(下)の漆喰の下にはトルコによって塗り
潰されたキリスト像が現れ、ここがかつて東ローマ帝国随一の大聖堂だった歴史を証明している。

だが、現在のフィンランド人もハンガリー人も微かにアジア系の痕跡を残す顔立ちをたまに見かける程度で、顔立ちも文化も完全に欧州だ。東方から攻めて来たアジア騎馬民族どもは占領地の白人の女を悉く征服したつもりだったかも知れないが、被征服者の数の方が圧倒的に多かったので長い目で見たら征服者の血が被征服者の血に飲み込まれた形になったのかもしれない。南縁で欧亜の接点となったトルコの例と比べると面白い。膨大な人口を抱えるトルコが数世紀にわたって支配したギリシャではアジア系の顔立ちも多く、彫刻に残る古代ギリシャ人の風貌とは明らかに異なってしまっている。逆に、今日全く欧州的顔立ちのトルコ人も少なくないが、これはトルコが頻繁に欧州の白人世界を侵し続けた為だろう。もっとも産業革命後の交通機関の劇的発達で人種間の交流・混交が加速度的に進んでいるので、このような観察は意味をなさなくなるだろう。



上:スウェーデン寸描(左:ユッカスヤルヴィ、右:ストックホルム)
バルト海Google map:東からは聖ペテルブルグ(青ピン)、ヘルシンキ(赤
ピン)、中央にストックホルム(緑ピン)、その対岸に旧リバウ(黄ピン)。

スウェーデン語はフィンランド第2の公用語だ。冬、内陸は氷雪に閉ざされる為、北欧の覇権を握る鍵は北欧の内海とも言うべきバルト海の制海権にあった。バルト海を瀬戸内海に例えるとストックホルムはそのほぼ中心、大体岡山の辺りに位置する(この例で言うとフィンランドは兵庫県、ロシアは大阪以東全てでも遥かに足りない)が、スウェーデンに強い王国が興ると軍船を並べてバルト海沿岸の国々を併呑していった史実は位置関係として良く理解できる。フィンランドでは長く統一国家を作る動きがなかったので対抗すべき大軍を組織できなかったという事情もあるのかもしれない。大国の隣に居合わせてしまった国は引っ越すわけにもいかず、その蒙り続ける迷惑は計り知れない。しかし12世紀から数百年もフィンランドを支配したスウェーデンに対する反感は余り無いと聞く。英国のような老獪巧緻な占領政策があったのか、この辺りの機微は良くわからない。

鉄道記事を書いている事を危うく忘れるところだった。余り日本で知られていないフィンランド鉄道博物館の紹介を少し続ける。上の写真はタンツボのあった3等客室と蒸気機関車を組み合わせた木造蒸気動車1号機の実物と模型だ。SUOMI とは千の湖を意味し、フィンランドを指す。同国の地図を見ると無数の湖が霜降肉のように点在しており、千を遥かに超える湖の国である事がわかる。

【写真上】非シンメトリーなラッセル車の模型。上から見ると歪な並行四辺形に出窓がついた奇怪な形状で、鉄道ファン用語でいうゲテモノの類だ。【写真左下】リラの木がそよぐ博物館の敷地にはミニ鉄道も敷かれている。童心に返って乗ってみたかったが、所々で寸断され残念ながら「廃線」状態だった。【写真右下】博物館最寄の Hyvinkäa 駅。


約20年前英国の大学院に留学していた頃一度当地を訪れた事があり、どこか違うと思ったら
一面ガラス屋根が付けられていた。積雪時はトンネルの中のような感じになるのだろうか。

表示は基本的にフィンランド・スウェーデンの2か国語表記(左上)で、外国人旅客が多い場所ではこれに英語が加わる。ヘルシンキ中央駅の石像 (右上) は VR (VR(Valtionrautatiet) -Yhtymä Oy の略称、1995年に上下分離方式で設立された、輸送業務のみを担当する、脱稿日現在で完全国有の株式会社) のマスコットにもなっているが、この彫の深い顔立ちはアジア人のものではない。静かな駅と車内・凹凸を嫌う平滑な車体デザイン・長いホームを2つに区切った運用・改札を省いた信用乗車方式・普通列車の最高速度が140キロである事・低いホーム・ハンマーによる脱出確保による高い緊急時安全水準等、どこを取っても欧州である。尚、時計台上部の青緑色は銅板の緑青の色で、スカンジナビアやドイツ北部で良く見られる。



地球温暖化の影響か、高緯度の寒冷地にもかかわらず普通列車(左上)も冷房付になった。

VRの車体デザインの新テーマはユニークで美しい。客車・電車、通勤用・長距離優等列車を問わず、フィンランドの湖水を図案化した白地に緑の絵で統一されている。笑顔の鳥が気持ちよさそうに雁行し、湖水は鏡のように静かで、良く見ると湖面が白鳥の姿を映しているところまで描きこまれている。特に2階建車は「キャンバス」が大きく、見応えがある。食堂車(写真下)は別デザインで、満月の夜に熊さんが川を渉猟し鮭を食べる模様が描かれている。下2葉はイタリア製の振子電車ペンドリーノETR460をベースにしたSm3で、高速新線を建設する程の輸送需要の無い同国(人口も GDP も北海道程度だが面積は日本の9割もある超人口過疎国だ)での幹線高速化に貢献している(次のロシア直通国際特急アレグロ用 Sm6 は ETR460 の進化型 ETR600 がベースだが、外観は基本的にSm3の色違いだ)



アレグロ用 Sm6 が国内特急用Sm3と比べて屋根上カバーが長いのは、
交流 25000V のフィンランドと電化方式の異なるロシア(直流3000V)
に直通運転する為の複電圧対応機器を格納する為と思われる。

アレグロは2010年よりフィンランドの首都ヘルシンキとロシアの古都サンクト・ペテルブルグ間を結んでいる。運行主体は2006年設立の カレリア鉄道会社 Oy Karelian Trains Ltd* で、VRグループ*ロシア鉄道株式会社 ОАО РЗД* が折半出資したフィンランド法人だ。最高時速は220キロと大陸欧州の在来線特急としては標準的な性能だが、振子装置による曲線通過速度向上により大幅な時間短縮(約5→3.5時間)を果たした。旧ソ連圏諸国の入管は時間がかかる(トイレに行きたい場合は飛行機が着陸態勢に入る前に済ましておかないと、空港に着いてからトイレで長逗留しようものならイミグレの前にはピクリとも動かない長蛇の列が出来上がってしまっているが、最近は少し改善された)が、アレグロでは入管手続や税関業務を車内で移動中に済ませて到着後のロスタイムを省いており、ハード・ソフト両面で看板(Allegro = 音楽用語で「早く」)通りの迅速さを確保している。



車体表記はフィンランド語→ロシア語、乗客への案内はフィンランド語→ロシア語→英語
の順だ。この表記順序は、ロシアの頚木が名実共に消滅した事も示しているようだ。

芬・露間のレール幅は 名目的な 4㎜ の差しかないので軌間変更装置無しでそのまま直通する。スペインとフランスが隣国同士なのに明瞭な軌間差 (西1668mm / 仏1435mm) があるのは、フランスが鉄道を用いて大軍を送り込んで来る事を警戒したスペインがあえてゲージ差を設けて直通できないようにしたのが原因だ。これに対して鉄道敷設時のフィンランドはロシア帝国の支配下にあった為ロシアと同じ 1520mm ゲージが採用されたが、1959年に 1524㎜ に改軌された。この微妙なゲージ差 (ロシア規格でも欧州規格でも無く、しかもロシアとの直通にも支障をきたさない) は西側自由世界に身を置きつつも地政学的理由からソ連陣営とも等距離外交を行わざるを得なかった冷戦時代のフィンランド (EU に加盟して「欧州入り」を旗幟鮮明にしたのは91年のソ連崩壊後の95年になってからだが、軍事同盟のNATOとは今も距離を置く。大国に挟まれてしまった国は芸が細かい) が、そっと見せた意地なのかもしれない。そうだとすれば何と隠微な反骨精神の表現だろうか。尚、社名のカレリア Karjala / Карелия はフィンランド人の心の故郷とされながらロシアと何度も領有権を争い、最終的にソ連に割譲されて今日に至っている地域 (この地域の伝承を集めたフィンランドの国民的叙事詩がカレワラ Kalevala だ)で、「国際」特急アレグロはこの旧自国領を走る。

次号第44話ではヘルシンキから見てバルト海のほぼ対角線上に位置する旧東独の海岸地帯(前掲バルト海マップの紫ピン)に残る、狭い道路上も走る事で有名な蒸気鉄道をご紹介する。


次号第44話は、ドイツの東北地方からお届けする。
Nächster Halt: Bad Doberan
Fahrplanmäßige Ankunft: Januar 2013

(2012年10月)
 
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