Trans Eurasia Express since 2002

 
is a quarterly articles series, now kindly hosted by H.I.S. London (until No.49 by H.I.S. Touristik Deutschland GmbH) on interesting trains and other means of transportation in Europe, Asia and other corners of the world, with technical, historical and cultural interests. All photographs, sounds and videos are taken by the author unless otherwise expressly mentioned.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
57. 地球の裏側に渡った丸ノ内線

- ブエノスアイレスで落書きに耐えつつ余生を送る旧営団の名車 -
Post-retirement Foreign Life of Japanese Trains - (1) Buenos Aires
今回の取材地: アルゼンチン 日本


ブエノスアイレス地下鉄B線の路線図:http://subterraneosdebuenosaires.blogspot.jp/ より引用
After replacement by the second generation completed in 1996, 131 coaches of the first generation
of Marunouchi Line were shipped from Tokyo to Buenos Aires – the opposite side of the globe.

南米で会議があり、帰路ブエノスアイレスでの約半日の待ち時間を利用して昔世話になった市内の旧知に再会してきた。旧知といっても人ではない。かつて東京の丸ノ内線を走っていた車両がアルゼンチンに譲渡され、東京から見てほぼ地球の裏側の同市の地下鉄B線に集結しているのだ。

 
1 丸ノ内線初代車
 

ステンレス製の第2世代車02系の増備により1996年に丸ノ内線を引退した初代車は、僅か3両編成でスタートした初期の両運転台車(300・400形)、片運転台車 (500形)、中間車 (900形) と多くの形式名を持つが、最も製造数の多かった500形で総称される事が多い。



葛西の地下鉄博物館で日本初の地下鉄・銀座線1000形と並ぶ初代丸ノ内線車両。
A beautifully restored coach of the first generation of Marunouchi Line, the second
oldest subway in Tokyo and the first one after the WW2, is displayed in the Subway
Museum in Kasai. At that time Japanese train technology was way behind the US –
Some core parts of this series used technologies licensed by Westinghouse Electric.

新宿・池袋の両副都心を国会議事堂前・霞ケ関・東京・大手町という日本の立法・行政・司法・経済の枢要部を経由して繋ぐ丸ノ内線は、1954年に池袋~御茶ノ水間で部分開業した。当時の日本で電車といえば茶色の凸凹車体にガーガーと騒音を出す吊りかけ駆動が当たり前の時代に、鮮やかな赤に大胆な正弦波 (サインカーブ) の加飾 (左下) 付の白帯を巻いたつるりと美しい車体にアメリカから技術導入した静粛なカルダン駆動モーターを奢った、当時の最新技術の結晶だった。銀座線同様第三軌条方式を採用した為、分岐通過時に一瞬発生する停電時に発光する非常灯のカバー (右下) にまで美しいカットを施した力作車だった。この名車を1編成ニューヨーク地下鉄で動態保存する計画もあったというが、結局131両という大 fleet がアルゼンチンに渡った。



Very exotic (looked more like a Portuguese design than Spanish) decoration of
an old passage way leading to a subway station in Buenos Aires. Hardly
to believe that an ex-Japanese trains are running just beneath this level.

古い駅の乗換通路 (註1) の美しいタイル。筆者は美術は全くの門外漢だが、このような配色はスペインというよりはポルトガルで良く見かけた記憶がある。この濃いラテン世界に、本当にあの乗り慣れた丸ノ内線が走っているのかふと怪しんだが、待つ程もなく昔世話になった赤い電車がやってきた。

(註1) 旧丸ノ内線車(B線)・旧名古屋地下鉄車(C・D線)・ブエノスアイレス最古参車(A線)を効率よく乗る為にはB線ペレグリーニ駅 / C線ディアゴナル・ノルテ駅 / D線7月9日駅と、C線5月大通駅 / A線リマ駅で乗り換えるのが便利だ。乗換駅同士では駅名を統一する国(日・独・仏・英・瑞等多数)とロシアのように別々の駅名とする国があるが、アルゼンチンは後者の少数派のようだ。かと思うとB・D線カラオ駅のように同駅名でも優に4ブロック離れていたりする事もある。
2 ブエノスアイレス地下鉄B線
 

500形は車体幅が少し足りなかったようで裾状のステップの追加工事がなされているのと落書きがひどい他は、ほぼ原形をとどめていた。B線も初期の線なので道路直下の浅い地下に建設され、駅の雰囲気も (大型扇風機が随所にあるのと表記がスペイン語である他は) 丸ノ内線に似ている。浅田次郎の小説を映画化した 「地下鉄に乗って」 (2006年) では昭和30年代の丸ノ内線が登場する。が、東西線用の角張ったステンレス車の5000形に無理矢理丸ノ内線風の赤白フィルムでラッピングした珍妙なもので、とても違和感を覚えた。折角実物の旧丸ノ内線車が似た雰囲気の駅を走っているのに、現地ロケの手間を惜しんだ事こそ惜しい。



The ex-Marunouchi Line coaches in Argentine. Little changes were made to ex- and interiors.
Apparently the coach was not wide enough and the steps were added. When the coaches
were operating in Tokyo, they were full of ads – but almost none in Buenos Aires.

車内も 「Buenos Aires Ciudad ブエノスアイレス市」 のロゴ付電光掲示板が設置された他はほぼオリジナルのままだった。日本語表記まで残っている点はオリジナル過ぎた。車内の独特のにおいまでそのままで、筆者が昔通った高校が新宿にあった事もあり、タイムスリップしたような感覚に陥った。が、どこか違う。紙広告が一切無いのだ。日本でも中吊り広告は減って液晶広告が増えているが、ここでは広告自体が少ないのだ。経済活動の規模や乗客数の違いが原因なのか。しかし中吊り広告用の金具はそのままだったので、地元客はこれは何かと訝しんでいるかもしれない。



Top: emergency lights with uniquely designed covers were still working. Middle right: the logos of
the Imperial Capital Rapid Transit Authority (the operator of Tokyo metro from 1941 to 2004) remained
unremoved. Bottom: Signage and instructions in Japanese language with Spanish translations.

上左右:特徴的だった非常灯も機能していた。中右:天井埋込式のファン中央の営団マークもかすれてはいたが残っていた。下左右:各機器類の日本語表記もそのまま (何かの検査済の印影まであった) でスペイン語訳のシールが付されていた。運転席方向幕裏には 「荻窪」 「新宿」 「池袋」 等の表記まで残っていたが、暗くて撮影できなかった。右下の計器盤中央の黒い穴はアナログ時代の名残だ。かつて日本の鉄道会社は、正確に調整した精密な懐中時計を各運転士に持たせ、運転中はこの穴にはめ込んで時間を管理して定時運行に努めたのだ。


Top: An amateur musician in the train - apparently Argentina shares this European culture. If he did the
same when the coach was in Tokyo, the Tokyo metro employee would have chased him out immediately.

上:東京時代との最大の相違点は文化面だ。車内の辻音楽師 第18話参照) や、各乗客の膝上に小品を置いて回って希望者から代金を回収する小商いは欧州、特に南欧で良く見られる車内文化で、大西洋を挟んだ欧州との文化の近似性を実感する。丸ノ内線で同じ事をやれば東京メトロの社員が飛んでくるだろう。ドア上にロゴが貼られている Metrovias S.A. は民営化後の経営主体だが、鉄道設備は公有の上下分離方式だ (ドイツ鉄道DBや日本の地方鉄道の一部もこの方式だ)。下:筆者の学生時代お気に入りの席だった先頭車進行方向右側最前席の付近も目立った改造は無かった。ひょっとしたら昔座った席かもしれなかった。


Ex-Marunouchi Line trains at De los Incas Station. Metrovias SA, the operator
of Buenos Aires subway, is changing the color of the ex-Marunouchi Line
coaches from the original red/white to its standard yellow/brown colorings.

同じ中古車輸出でも、ヤンゴン (ミャンマー) に譲渡された広島電鉄3000形 (元西日本鉄道1000形) は設計そのものから随分くたびれておりあんまりではないかという気がするが、同車は1953年製で丸ノ内線初期車とは1年しか違わない。見方を変えれば初代丸ノ内線が当時如何に先進的だったかの証左でもある。しかし初号機製造後60余年を経て流石の名車も故障が増え、旧マドリッド地下鉄車両 (スペインの中古車なら機器類の説明の翻訳コストも不要だ) に置き換えが始まり、また残存車も Metrovias の標準色に塗り替えられつつある。

 
3 ブエノスアイレス地下鉄C・D線
 

C・D線には旧名古屋市交通局の東山線・名城線からの移籍組もいる。



下:「RETIRO」 の貼紙はこの列車が Retiro 行の意味ではなく、
こちら側の列車端が Retiro 寄りである事を示すに過ぎない。
In Linea C and D, ex-Nagoya Municipal Subway coaches
are in operation. Many of them fell victim to vandalism.

東山線・名城線が丸ノ内線同様の第三軌条方式なのに対してC・D線が架線集電方式 (開業済のABCDH各線中、第三軌条式はB線のみ) の為、譲渡時にパンタグラフ設置等の改造がなされた。ここも落書被害がひどく、前照灯に選挙ビラが貼ってある車まであった (右上)。筆者は名古屋地下鉄には縁が無く、鉄道雑誌で200形等の写真を見て、これ以上シンプルにできそうもないその地味さと、名古屋独特の車番のフォント (写真下の「337」。名鉄の車番同様、日本では滅多に使われないEngravers MT に近い) が印象に残った程度だ。この質朴な尾張の老兵に意識があれば、遥かな異国で極彩色でぐちゃぐちゃに落書されて何を思うだろうか。

 
4 ブエノスアイレス地下鉄A線
 

A線では1913年 (大正2年) 開業当時の木造車 (但し外面は鉄板で補強されていた) が現役だった。この木造車は形式名ではなく、主要製造者であるベルギーのメーカーの名前をとってラ・ブルジョワーズ車 La Brugeoise car と呼ばれた。



上:100歳近い老体に無慈悲になされた落書き。鉄柱の電話器や非常ベルも年代物だ。
右中:La Brugeoise 車の屋根上集電装置。巨大なパンタグラフがトンネル内に収まるよう
狭く折り畳まれている。右下:地下鉄博物館の丸ノ内線車両の第三軌条式集電装置。台車
から突き出た集電靴 (赤色) の下が給電レール、上がカバー。基本構造は銀座線も同様。
Above: the so-called “La Brugoise car” named after the Belgian manufacturer in Linea A, the oldest line in the
Buenos Aires subway, the first subway system in the Hispanophone countries and the Southern Hemisphere. Below:
The Linea A was one of the models of the Ginza Line in Tokyo, the first subway in Asia (Subway Museum in Kasai).
上:ブエノスアイレス市産業文化遺産にまで指定されたという La Brugeoise 車の落書き被害が痛々しい。このA線は、14年後の1927年に開通し 「東洋唯一の地下鉄道」 を謳った地下鉄銀座線が参考にしたという。対向式ホームの駅の雰囲気は似ていたが、車両はかなり異なる。下:東京地下鉄道 (東京メトロの前身、帝都高速度交通営団のそのまた前身) 1000形 (註2) の方はトンネルを低断面とする為第三軌条方式とした (写真右下) 他、火災対策の為当時珍しい全鋼製車体 (車内も鋼製で木目調のプリントを施していた) だったが、溶接技術が伴わずリベットだらけだった。
(註2) 2012年から運用開始した東京メトロ銀座線新1000系は、明るい黄色の車体色を含め、この大正時代の1000形をモティーフにしている。この色は暗い地下でも明るく感じさせる為のベルリン地下鉄のアイデアを拝借したものなので、新1000系の黄色の源流は約1世紀前のベルリンに遡る事ができる訳だ。


Very antique woody interior of the La Brugoise car which was replaced by a Chinese rolling stock
in 2013 after 99 years of operation. The headlight also served as a room lamp (bottom right).

初期の La Brugeoise 車は1911年 (明治44年) 製で訪問当時現役世界最古の地下鉄車両と言われただけに、暗めの白熱灯にぼうっと照らされる木製の車内は走る古民家の趣があった。編成両端の隅にある木製の押入のようなものは運転室だ。板で囲われた運転士一人分以外のスペース以外の先端部分は客室に開放されている。前照灯は車内照明を兼ねていた (右下)



Extremely well ventilated and panoramic corner of the La Brugeoise car

前面窓も一部は開閉可能だ。鉄道車両の前面も側面も窓を開けて走るという経験は初めてだった。昔懐かしい吊りかけモーターのざらついた咆哮音がトンネル内に共鳴し、サラウンド効果を伴って風と共に直接車内に入り快く耳朶を打つ。この席は鉄道愛好家にはスーパー・ファーストクラスだ。この La Brugeoise 車は筆者が同市に立ち寄った2012年秋当時はまだかなりの数が残っていたが、翌2013年に中国製の新車に置き換えられ全廃されたというニュースに接した。廃車時の車齢はほぼ1世紀だった事になる。

 
5 Retiro駅その他
 

ブエノスアイレスの中央駅に相当する地上のレティーロ駅 Estación Retiro も覗いてみた。



中長距離列車のホームに入るのに改札を通る必要があるのは英国式(19世紀末の鉄道黎明期に英国人
鉄道技師の指導を受けた日本もこの系列に入る)で、ホーム出入り自由の大陸欧州とは大きく異なる。
Retiro Station – the central station of Buenos Aires with a superb station building in European style.
Broad gauge (1676mm) and the huge screen displaying a football match added the flair of Latin.

ややたそがれた名前 (retiro [西] → retire [英] 引退) にもかかわらず、同駅は同市の地上交通のハブだ。欧州のターミナル駅風の豪壮な駅舎に、(窓等の小道具の形状から推して) 日本製新車と思われる近郊電車群という多国籍感が面白かった。だが、線路のゲージの異様な広さ (日本:1067mm (JR在来線)、欧州:1435mm、アルゼンチン:1676mm)、そしてラテンの国らしく大型モニターでのサッカー中継が、ここが南米である事を雄弁に物語っていた。





Top: Surprisingly, classic semaphore signals were still used at this central
station of the capital. Bottom right: Destination Cordoba –this naming
may be a residue of nostalgia of the settlers from Spain centuries ago.
上:行き止まり構造の欧州式大駅舎だが、東京の感覚ではがらんとしている。中央駅というのに腕木式信号機がまだ現役で驚いた。右下:コルドバという地名が見えるが、勿論スペインのコルドバでは無い。北海道の北広島やカナダのロンドン 第13話参照) のように、スペインからの初期の開拓民のもう戻る事のない故国への望郷の念の結晶が地名となって今に残っているのだろう。


Top: Subway in Buenos Aires is called “Subte” (abbreviation of Subterráneo) as
opposed to “Metro” in Spain where the subways were constructed after Argentina.
上:レティーロ駅コンコースには Subte (註3) 連絡口がある。訪問当時、同駅に接続する地下鉄は旧名古屋車が走るC線だけだったが、将来的には4線が集結する計画がある。下:構内や周辺には日本人が見ればふと微笑んでしまう店名も見かけた。アルゼンチンは2001年の920億ドルという巨額のものを含め何度かデフォルトに陥ったほど国家財政は厳しく、首都の地下鉄の大半が中古車なのも頷ける。しかし町には失業者が溢れている訳ではなく、平和な南欧の町のような雰囲気だった。豊富な地下資源や農業生産の恩恵なのかは知らないが、明るい表情のシロクマがシンボルマークのメキシコ本拠の食品メーカーの看板 (写真左下) を見ていて、社名の語呂からつい枯渇した国庫と町の明るさとの奇妙な組み合わせと想像が重なってしまった。
(註3) スペインでは地下鉄はメトロというのに同じスペイン語圏のアルゼンチンではSubte (Subterráneoの略) という。ブエノスアイレスが南半球初のみならずスペイン語圏初の地下鉄を建設したものの、「本家」 スペインがその呼称を用いず一般化しつつあったメトロという呼称を採用した為だ。


Only one quick tour guide – “El Ateneo Grand Splendid” near Callao station is a beautiful
bookshop worth visiting, converted from a theatre called “Teatro Gran Splendid”.

折角だから地元の人で賑わっている食堂で現地料理を試して空港に戻ろうと考えていたが、大型機の到着が重なったのかブエノスアイレス空港のイミグレ通過に長時間を要し、その分だけ市内滞在可能時間が減った。ここから東京まで2度乗継で繋いで正味飛行時間だけで22時間もかかる。予約便に乗り遅れる訳にはいかず、市内は常に小走りの有様で食事は諦めた。飛行機ですらうんざりするこの遠隔地まで、丸ノ内線も貨物船で良く来たものだ。英ガーディアン誌が 「世界で2番目に美しい本屋」 と評した、El Ateneo Grand Splendid という劇場を改造した本屋が前述のカラオ駅の近くにあったので、そこを数分覗いて空港に戻った。 日本の中古鉄道車両が東南アジアを中心に活躍する例が増えているので今後機会があれば取り上げていきたい。

準急ユーラシア、次はチェンマイに停車する。



Next Stop of the Trans Eurasia Express: Chiang Mai
Expected Arrival: August 2016

(2016年5月 / May 2016)
 
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