Trans Eurasia Express since 2002

 
is a quarterly articles series, now kindly hosted by H.I.S. London (until No.49 by H.I.S. Touristik Deutschland GmbH) on interesting trains and other means of transportation in Europe, Asia and other corners of the world, with technical, historical and cultural interests. All photographs, sounds and videos are taken by the author unless otherwise expressly mentioned.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
59. ドイツで翼を並べる冷戦期のライバル、
コンコルドとツポレフTu144


- ジンスハイム自動車・技術博物館は乗物愛好家の宝島 -
Concorde and Tupolev 144 – Pas de Deux by the Historic SSTs in Sinsheim
今回の取材地: ドイツ イギリス フランス 日本


コンコルド(奥)とツポレフ144(手前)の静態保存機。こうして見比べると、カナード(前尾翼)の有
無という目立つ違い以外にも、主翼であるデルタ翼も、その前縁はコンコルドがS字形を描いて
いるのに対して、Tu144では直線的で途中で「く」の字形に後退角が変わっているのがわかる。
Concorde (back) and Tupolev 144, both displayed in Sinsheim, Germany

今日の空は(太い低燃費高バイパス比エンジンを2基ぶら下げた)省エネ双発機の天下で、(大型長距離機すら双発のB777-300やA350-XWB等が4発の名機B747を駆逐してしまい)大空港の光景も省エネ機一色の退屈なものになった。しかし人類を月に送るアポロ計画成功等科学技術が長足の進歩を遂げた1960年代には、旅客機の世界でも音速の2倍で飛ぶ超音速機(supersonic transport、以下SST)、英仏のコンコルドとソ連のツポレフ144(以下Tu144)が生まれた。今号では両雄共に保存され、しかも機内見学もできる世界で唯一の博物館をご紹介する。

 
1 コンコルド① お試しフライト(1993年)
 

古い写真が出てきたのでまず現役時代のコンコルドをご紹介する。筆者が英国の大学院に留学していた1993年、路線縮小が続いていたコンコルドの余剰機を使ったロンドン起点の観光飛行が行われていた。英国内の亜音速subsonic飛行と、パリ往復で片道のみコンコルドの超音速supersonic飛行だ。後者は確か900ポンド強で学生の身には極めて痛かったが、当時既にこの人類的名機の終焉が見えていたので、えいやと後者を申し込んだ。コンコルドの大西洋線等の定期便はファーストクラスより更に高いスーパーソニッククラスという特別の価格設定で文字通り雲の上の話だったので、900ポンドで超音速飛行ができるのは稀有の機会でもあったのだ。



右下:通常の旅客機の2倍の高度から見た空は昼間でも少し暗く(太陽は
白々と輝いているのに空は青黒い)、少し宇宙空間に近付いた感じがした。
In 1993 when I made my post-graduate studies in the UK I had a chance to experience a very short
supersonic flight from LHR to CDG. This flight took double times as conventional flights because
the Concorde had to make a long detour to avoid causing sonic boom problems on the land.

超音速飛行中のコックピット内。SSTに乗る事のみが目的の観光フライトだったので全乗客がコックピットに招待され、狭い機内は大行列だった。上:コックピット前方は二枚窓だが、超音速飛行時の空気抵抗低減の為にバイザー(6枚の強化耐熱ガラスを組み込んだ細長い風防)を上げた「二重窓」状態だ。後述のTu144と異なり、バイザー装着時も前方視界はこのように十分確保されている。

左下矢印:航空機関士(手前)の机上には飛行経路を示した地図があるが、ロンドン(地図右下)から一旦逆の西方(地図上方)に向かい、左に直角に曲がり大西洋上で超音速飛行を行い(騒音防止の為陸上の超音速飛行は禁止)、更に左に曲がって東方(地図下方)のパリに向かう。通常のA320等汎用機の定期便なら正味45分程の飛行距離を大回りしてSSTが倍の1時間半かけて飛ぶという一見冗談のような時刻表だったが、SSTの乗客としては滞空時間が1分でも長い方が良かったのだ。地図右側の陸地は英国南西端コーンウォール半島、左側はフランス北西端ブルターニュ半島、向かって右が北だ。



This old-fashioned display proudly shows the current speed – Mach 2.03 corresponds to
almost 2500km/h (depending on temperature). The window was warm due to frictional
heat, and the sky looked dark due to its very high cruising altitude of 18,000m.

音速(マッハ1)は海面上気温15度の場合時速約1225キロというのでマッハ2.03(この初期のデジタル式速度表示器にも時代を感じる)は時速約2487キロという事になる。直線距離で約400kmの東京・大阪を10分弱で飛び抜けるスピードだ。巡航高度の約18000mの外気温はマイナス70度という説明だったが、空気との摩擦熱で窓は暖かった。超音速飛行を長時間行う定期便では胴体側面は約90度に加熱され窓は室内からでも触り続けられない程熱くなり、機体は熱で20cm伸びたという。SSTが全廃されて久しいが、スクラムジェットエンジン等新技術を用いた低燃費SST開発の記事もちらほら見るようになった。ただ実用化は今世紀半ば以降というから筆者がもうSSTに乗る機会はあるまい、と学生の分際で食費にまで食い込んだ当時の大出費を正当化する事にした。



コンコルドはロンドン・ヒースロー空港では搭乗ブリッジ(上)、パリ・シャルルドゴール空港では客室ごと
上下する構造のバス(中・下、ワシントン・ダレス空港のモーバイルラウンジと同様)での連絡だった。
Boarding and disembarking Concorde – LHR (above) and CDG (rest of the pics). At CDG
a bus similar to the “mobile lounge” in IAD connected the plane and the terminal building.

2 コンコルド② Sinsheim博物館訪問(2016年)
 

1960年代は高速化により集客増と運行効率上昇(大西洋日帰り往復が可能になる等)による必要機体数低減が見込まれるとして、長距離便の多くはゆくゆくSSTになると真剣に考えられていた。この背景で誕生したのがコンコルドで、その巡航速度は音速の2倍を超えた。しかし空港施設(フルロード時で3600mの滑走路が必要)や路線(航続距離が短く、超高速性能を発揮できる相応しい路線が限られた)に制約があったうえ、離陸時と音速の壁超え時にアフターバーナーが必要等膨大な燃料を消費した為に営業運行開始の3年前に始まったオイルショックの直撃を受けてしまった。この為16社から得た発注の大半がキャンセルされ製造機数はプロトタイプを含めて20機に止まり、製造国の英仏のエールフランスと現ブリティッシュ・エアウェイズが意地で運行していたが、騒音やオゾン層破壊等の環境問題に加え9.11テロ後の乗客減も加わり、2003年に運航継続を断念した。この悲運の名機の簡単な諸元表を本稿後半にまとめておいた。



左:戦闘機のように尖鋭な機首部分。左側前方扉は換気の為に開放中。
中:SSTの機体は放熱効果の高い白色が多用されるので社名が目立つ。
良く見るとAIR FRANCEの「C」の文字だけが縦方向に長い。右:機首側面
のmustache(口髭)と呼ばれる strake(フィン)。前方に触覚も生えている。

コンコルドは人類史的価値を持つ機種だけに、全20機中事故で失われた1機と解体された1機を除く18機は世界各地で保存されている(ワシントンで広島原爆投下機エノラ・ゲイと共に保存されているコンコルドについては第33話参照)が、大半は機内立入禁止だ。ライバルTu144と共に、しかも機内まで見学できるのは、世界中でジンスハイム自動車・技術博物館 Auto & Technik Museum Sinsheimだけだ。上昇中の姿勢でのダイナミックな展示方法が、大空を自由に飛び回っていた頃を彷彿とさせる。半世紀昔の機体だが、高機能に徹したデザインは時間を超越して美しい。



躍動的な展示方法。屋外展示なので雨曝しによる劣化はやむを得ない。
左下:平滑化の為か、窓帯部分は一直線に削がれた様な処理がされている。
20 Concorde-planes were manufactured and 18 are still remaining. However,
Auto & Technik Museum Sinsheim is the only place where Concorde is displayed with
its Russian counterpart Tupolev 144, and where the visitors can actually board the ex-SSTs.

上:鼻先を伸ばし風防バイザーを装着した状態。長い可動機首(英語では垂れ鼻droop noseと言うが、直訳では洟垂れのようで語感が良くない)がパイロットの視界を支障しないよう、着陸時は12.5度(試作機では17度)、離陸時とタクシング時は5度、それぞれ下がる。着陸時の角度が大きいのは、機首を大きく上げた独特の姿勢(これを前方から見るとデルタ翼が目立ち巨大な鳥が翼を広げて威嚇しているように見え、日本では「怪鳥」とも呼ばれた)で着陸する為だ。Tu144と異なり、鼻先とバイザーは別々に操作できる。



The droop nose (above), thrust-reversers (bottom left) and “Place de la Concorde” in Sinsheim.

左下:逆噴射用のスラスト・リバーサー。屋外展示の敵は天候だけではない。鳥の糞害から守る為に至る所にスパイクマットが設置されているが、ここに設置すると食虫植物のハエトリグサみたいだ。右下:コンコルド機内見学用の階段付近に「コンコルド広場」(ルイ16世とマリー・アントワネット等が大量に処刑された革命広場だった。パリとモスクワの革命広場駅のコンセプトの違いについては第42話中段参照)の表示があった。標識の意匠もパリの標識デザインに合わせている。


Interior view of Concorde in Sinsheim. As opposed to the modern planes with full of
reliable computers, airplanes those days needed a flight engineer, too (bottom right).

学生時代に無理して乗ってから23年ぶりに見たコンコルドの機内。狭い(2880mmというのでJR在来線並)機内を見学し易いよう椅子の多くが撤去されがらんとした客室や無人のコックピットが骸のようで寂しく、この間に流れた歳月の長さを感じた。展示機は機体後部の非常口から入る。急角度で固定されているので、機内にいると視覚的には水平なのに前方に向かって歩くのは登山のような妙な感じだ。Air France所有だったので出口表示が英語の前にフランス語が来る。



縦長4枚窓を2枚の三角窓で挟んだバイザー装着時のコンコルドの顔は、1952年に定期運航を開始した
世界初のジェット旅客機、デ・ハビランドde Havilland社(英)のDH.106コメットCometに似ている。この
独特のデザインは英国のDNAか。両機共にパイオニア故の試練に直面し、寡作に終わった点も似ている。
Pictures of Concorde under transportation to Sinsheim are displayed in the aft section of the plane.

Sinsheimに輸送中の模様が機内で展示されていた。1976年のパリ~リオデジャネイロ線(ダカール経由)とロンドン~バーレーン線に始まり一時はシンガポール航空との共同運航まで行われ、1988年にはニューヨーク~ロンドン間を2時間55分15秒で飛ぶ等、世界を股にかけて活躍し数々の輝かしい記録を打ち立ててきた名機が、その大役を終え終の棲家に向けてこのようにゆっくりと運ばれていく様子は、感動的でさえある。

 
3 ツポレフTu144
 

Sinsheim博物館にはコンコルドの前に縦列駐機する形で、そのライバルと目された旧ソ連のツポレフ144も展示されている。



Tupolev 144 is also displayed in a similarly dynamic manner. 16 Tu144s were completed but two
of them were lost in accidents. Tu144s were in regular service only for a short period of time:
As cargo flights from 1975 and as passenger flights from 1977, but the service ended in 1978.

ソ連はTu144の初飛行をコンコルドの前年の1968年に行い、人類初の人工衛星スプートニク1号に続きSSTの分野でも西側の鼻を明かした形になった。カタログ数値上もTu144の性能はコンコルドを僅かに上回っていた(下記比較表参照)。ソ連圏内の超高速移動への需要が少なかったにもかかわらずTu144をぶつけてきた所に、西側への強い対抗意識が感じられる。右下:機首を下げる為に顎を外した状態。ロゴはツポレフ(正確にはトゥパリェフ)Туполевの最初の二文字のТу(キリル文字のyは英文字のuに相当)を筆記体に崩したを意匠化したものだ。



Impressive engines of Tu144. The catalogue performance of Tu144 is slightly better
than Concorde in many aspects, but one serious weak point was fuel efficiency – the
initial models of Tu144 needed constant support of afterburner to keep Mach 2, while
Concorde used afterburner only at take-off and at passing through the transonic barrier.
中:エンジン下部にはNACAダクト型吸気口が並んでいる。左下:Tu144のエンジンはコンコルド
よりも中央寄だ。右下:排気ノズルの隙間から巨大な吸気口が見え、内部は風洞状になっている。

しかし初期のTu144はアフターバーナーを焚き続けないとマッハ2を維持できなかったので燃費はコンコルドよりも更に悪かった。性能を最も発揮できる4~6000キロ区間で適切な路線が無かったソ連では1975年にモスクワと中央アジアのアルマティ(現カザフスタン共和国)との間で貨物便(一体何を運んだのか?)として運用を開始し、翌々年に同区間で旅客運送を始めた。超音速機による定期便運航の一番札を引く事こそが最重要目標だったのではと思わせるような首を傾げる路線選択だったが、その翌年には定期運行を停止し、再開しないままソ連邦が崩壊し、完成した16機中墜落した2機(ロシアンルーレットに近い確率だ)を除く全機が退役した。



One of the exterior features of Tu144 is this canard wing that helped the plane at landing
because the SSTs with delta-wings had to land with an extreme “head-up” position.
Bottom (Source: www.aviationexplorer.com): As opposed to Concorde, when the
“droop nose” is lifted up to cruising position, the front vision of Tu144 was limited.

大きなデルタ翼が(機体中央寄りにあるコンコルドと異なり)Tu144では後方にある為か、操縦室後部の折畳式カナード(前尾翼)がTu144の外観上の大きな特色となっており、可動部は複雑な構造をしている。展示機は鼻先を下げた離着陸モードだ。下:超音速巡航時の前方視界(出典:www.aviationexplorer.com。コンコルドと異なりTu144の機首部分はバイザーとセットで動き、巡航時に機首を上げると小窓(写真上の黄色い三角部分)付のバイザーで操縦席前方窓が塞がれ、パイロットの視界が大きく遮られる。大昔のSF映画のセットのような雰囲気だ。マッハ2で巡航時の機首部分は摩擦熱で120℃を超えたというので、バイザーと正面窓との間の三角錐形の空間はオーブンのように熱かったのだろう。熱源の直後にクラシックな計器類が並び前方視界が悪い辺りは蒸気機関車に似ている。



Naturally, there are many signs in Russian language.

Tu144展示機もコンコルド同様機体末尾の非常口から入る。機内の雰囲気も、残されたシートがアクリルで保護されている保存方法も、コンコルドと同様だ。違うのがロシア色で、キリル文字が随所に残り出口表示もロシア語のヴィーハッドВыходが上にくる。また右上のようなコルゲート加工は当時のソ連圏の鉄道車両でも多用された。右下:自動化が進み2人乗務が普通になった今日、手前の航空機関士席が(コンコルド同様)時代を感じさせる。しかしコンコルドより古く感じるのは、パネルの水色が旧式メーター類を目立たせている為だろうか。





Logos of CCCP - Union of Soviet Socialist Republics can be seen everywhere in Tu144. What a
peaceful view that the symbolic planes of the both camps at the cold war are displayed side by side!

CCCP(英文字ではSSSRに相当)はソビエト社会主義共和国連邦Союз Советских Социалистических Республикの略だ。米ソが体制をかけて張り合った冷戦時代、Tu144が余りにコンコルドに似ていたのでスパイ説も取沙汰され「コンコルドスキー」と揶揄された。Tu144の運行は全機ソ連国営(当時)アエロフロートАэрофлот(「空の編隊」という、如何にも「らしい」名前だ)だったが、展示機ではその表記は何故か消されていた。1990年に旧東独が崩壊し、ミグやスホイ等の旧東独軍のソ連製戦闘機が(西)独軍に編入され、第三次大戦勃発時には死闘を演じる筈だった西独軍のファントム等と仲良く翼を並べた写真は衝撃的だったが、SinsheimでコンコルドとTu144が並んで展示されているのもそれに匹敵する平和の象徴といえる。1991年にソ連が崩壊して早や四半世紀が過ぎたが、ロシア(現在の正式国名はロシア連邦Российская Федерация)ではソ連時代のイデオロギー建築を当時の地下鉄駅も含め現代史の遺産として保存している点については第42話第50話参照。



Pictures of Tu144 under transportation to Sinsheim are also displayed in the plane –
Bottom left: Tu144 passing by the Kremlin in Moscow. Bottom right: What a small
cross-section of the fuselage - May be smaller than the engine of B777.

Tu144輸送時の写真も展示されていた。上:船底に積み込まれた超高性能機の哀れな姿。鼻と羽根をもがれ、解体中の鳥のような異様さだ。耳(カナード)は畳んだ状態だ。左下:Tu144を載せモスクワ川を航行中の船がクレムリン(既にプーチン大統領の世になっていた)脇を通過する。右下:道路を輸送中のTu144。トラックと比べても胴体の細さが目立つ。機体断面はB777のエンジンよりも小さそうだ。

 
4 超音速旅客機SSTまとめ
 

SSTの黎明期を彩ったコンコルドとTu144、そして後述するB2707をWikipedia情報を元にぱぱっとまとめてみた。同じWikipediaでも著者によって情報が微妙に異なるようだが、あくまでざっくりした比較用なのでそれ以上検証していない。

 

コンコルド Tu144 B2707
試験最高速度(マッハ)
試験最高速度(km/h*)
*M1 = 1,225 km/hで計算
2.23
2,731
(同記録保持機はダックスフォード帝国戦争博物館Imperial War Museum, Duxfordで展示)
2.15 ~ 2.35
2,634 ~ 2,879
巡航速度(マッハ)
巡航速度(km/h)
2.02(2.04という資料も)
2,475
2 ~ 2.17
2,450 ~ 2,658
2.7
3,308
巡航高度(m) 18,000 20,000 20,000
定員 100 120 270前後
座席配置 2-2 2-3 2-3-2
航続距離(km) 6,200(7,229という資料も) 2,920 ~ 6,200 6,850
初飛行 1969 1968 -
営業運行開始 1976 1975(貨物便)
1977(旅客便)
-
営業運行終了 2003 1978 -
受注機数(1969年10月当時) 16社から74機 26社から122機
製造機数
その内墜落事故数
20
1(2000年)
16
2(1973・1978年)
0
採用社 AF, BA SU 0
日本との関係 1965年に日本航空が3機仮発注(のちキャンセル)
1972年デモフライトで初来日(羽田)
1964年に日本航空が5機発注、しかし1971年に開発計画そのものが中止

開発主体 Sud Aviation(仏)
British Aircraft Corporation(英)
Tupolev設計局(ソ) Boeing(米)

こうしてみるとB2707への発注機数に示された、軍用機メーカーでもあったボーイング社への期待が突出して大きかったのがわかる。このような最先端技術分野では軍事技術との接点が多く、例えば同社の名機B747も元々は軍用貨物機として開発されたがロッキード社との受注競争に敗れて民間転用されたものだ。ちなみにロックウェル社が後年開発したB1爆撃機(1974年初飛行・実戦配備1986年)の胴体形状はB2707そっくりで、素人目にもB2707が既にかなり熟成されていた印象を受ける。



Due to fuel problem neither Europe nor the US could be reached non-stop with an SST from
Japan. JAL placed a provisional order for three Concordes, which order was later cancelled.
JAL also placed an order for five B2707s to Boeing which later abandoned the SST project.
A model plane of B2707 with JAL color scheme is displayed in JAL lounge in HND.

日本航空はコンコルドを3機仮発注したがキャンセルした。航続距離が僅か6~7000キロのコンコルドは欧米にノンストップで飛べない上にオイルショック等が重なれば、大買物にサインした時点でgoing concern注記が必要になりかねないのでやむを得ない判断だろう。日航はコンコルド仮発注の前年に米ボーイング社の超音速旅客機B2707も発注した。このB2707はマッハ2.7、定員270名前後とコンコルドやツポレフ144より1ランク上を目指したが、こちらは開発そのものが中止され、結局日本には超音速機の定期就航は無かった。今日の羽田空港の日航国際線ラウンジの靴磨きサービスコーナー付近はコックピットの計器類やパイロットケース等が展示されちょっとした博物館になっているが、国内線初のジェット旅客機コンベアー880と共に幻のB2707の鶴丸塗装機の模型(中)もある。

 
5 その他
 

Sinsheim博物館には他にも興味深い展示が多いので、この機に簡単に紹介しておく。航空機の部ではJunkers社のJu52/3mも外せない。



There are many other interesting exhibits in Sinsheim, including this Junkers Ju52 – the main
force of the Lufthansa fleet during the interwar period. It was also the main force of the
Guernica-bombing in 1937, in response to which Pablo Picasso made his famous painting.

Ju52はユー叔母さんTante Juと愛称されたドイツ戦間期の名機で、一時期はルフトハンザ・ドイツ航空の主力機で、軍事用にも用いられた(ピカソの代表作ゲルニカが描いた、1937年のゲルニカ爆撃の主力機もJu52だった)。3mは三発機の意味でBMW(バイエルンエンジン工業Bayerische Motorenwerkeの意味で、同社は自動車専業では無い)製エンジンを3機搭載する。軽量で強度に優れる独特のジュラルミン製波状外板は、ドイツの代表的トランクメーカーRIMOWA社のデザインのヒントになったという。



Interesting trains are also displayed in Sinsheim, including this “Krokodil” (crocodile) –
an electric locomotive for heavy cargo trains, which consists of three articulated
sections to negotiate the curves on mountainous routes, with six drive axles.

鉄道展示の圧巻は戦間期製造の急曲線・急坂の多い山岳路線用ヘビー級貨物機、クロコディルKrokodil(ドイツ語でワニ)だ。スイス連邦鉄道SBB版(写真)とオーストリア連邦鉄道ÖBB版の2機が展示されている。動輪12軸のスウェーデンのDm 3第3話参照)のど迫力には及ばないが、3連接車体に動輪6軸+先輪2軸を配置した大ワニもなかなかだ。他にもナチスドイツ軍がソ連侵攻に用いた兵員・輜重輸送用蒸気機関車もあり、雪国での戦闘用に施されたゼブラ迷彩が珍しい。自動車も世界初のロータリーエンジン車NSU Ro80、ベンツ縦目時代の富豪・王侯貴族用リムジンの600、600用6300ccエンジンをSクラスに押し込んだ300SEL 6.3(当時Sクラスの最大は6気筒3000ccだった)、テールフィンが極大化した1959年式キャデラック、初めて時速1000キロを超えたBlue Flame号、映画Cars 2の悪役ザンダップ教授のモデルになったツュンダップ・ヤーヌスZündapp Janus等、見るべきものは多い。



上・左下:DB線に乗入れる高速路面電車。路面電車の車幅は狭いので乗降中のドアはステップが
出る。中間車は中距離客用でドアが無い。右下:全身でSinsheim博物館駐車場入口を示す戦闘機。
Above and bottom left: “Tram train” based on the so-called Karlsruhe concept, leaves
Sinsheim Museum/Arena station of DB / German Rail. This tram train is powered with
strong motors, and one unit consists of three cars, one of which is designed for mid-
distance passengers and the remaining two coaches for short distance passengers.

最寄のSinsheim Museum/Arena駅。ドイツは低人口密度の地方分権国家にふさわしい、既存インフラを活用した低コストの公共交通手段を発展させてきた第37話参照)。その典型はKarlsruhe Modelカールスルーエ・モデル(英語圏ではtram trainとも)と呼ばれるもので、路面電車をSバーン(ドイツ鉄道DBの都市近郊通勤鉄道)網に組み込み、郊外はDB線、都心は路面を走り直通運転を行うものだ。この為路面電車とはいえ高速走行が可能で、客室も短距離用・中距離用2種類を合造した構造になっている。写真のBombardier社製ET2010は8軸中4軸が150kwの強力モーターで駆動され、最高時速100キロを出す。3両固定編成で両端先頭車が短距離客用でドアが片側各2か所、中間車は中距離用でドア無しクロスシート車だ。右下:前を走るポルシェはHDで始まるハイデルベルグナンバーだ。Sinsheimはハイデルベルグに近く、哲学の道を散策後にここで人類の交通発展史の途を辿るのも一興だ。

準急ユーラシア、次は成田に停車する。



Next Stop of the Trans Eurasia Express: Narita (J)
Expected Arrival: February, 2017

(2016年11月 / November 2016)
 
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資料は各脱稿日現在の該当会社・団体のHP、WikipediaWebsite über die schnellsten Züge der Welt 各所掲のデータを参照したもので、それ以上の検証は行っていない。
意見にわたる箇所は全て筆者の私見である。
   
 
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