Trans Eurasia Express since 2002

 
is a quarterly articles series, now kindly hosted by H.I.S. London (until No.49 by H.I.S. Touristik Deutschland GmbH) on interesting trains and other means of transportation in Europe, Asia and other corners of the world, with technical, historical and cultural interests. All photographs, sounds and videos are taken by the author unless otherwise expressly mentioned.

Mikio Tanaka

 
     
   


 
64. 「永遠の0」鉄道編 - 東海道新幹線初代0系の記憶

Series 0 since 1964 - The Remains of the First High-Speed Train in the World
今回の取材地: 言わんアメリカ イギリス 日本 ロシア 中国


海外に残る0系。上:英ヨーク鉄道博物館で装飾過剰のロイヤルエンジンと並ぶ0系。
下:新竹の台湾高鐵六家基地で限界測定車となった0系。英・台共に元JR西日本車。
Top: Series 0 displayed next to the decorative Royal Engine in the National Railway Museum
in York, UK. Bottom: Series 0 converted to a structure gauging car (Hsinchu, Taiwan).

今号では1964年の第1回東京オリンピックに合わせて営業運転を開始した世界初の専用軌道方式の高速列車、東海道新幹線の初代0系の痕跡を、海外に残るものを中心にまとめてみた。営業最高時速210キロ(1986年からは220キロ)は今でこそ大陸欧州では在来線急行も出すレベルだが、蒸気機関車がまだまだ大量に現役だった1960年代は未来の速度で、大量高速輸送に大きく貢献した。しかしその後国鉄は財政危機と労使紛争から技術革新は停滞し、0系は1964から86年まで20年以上もモデルチェンジされず、その結果、累計3216両もの大所帯となった(現在は全車引退)

 
1 絵柄に残る0系
 

ダンゴ鼻に流線形ボディ、白+青のカラリングという特徴的な0系のスタイルは、航空機、特に当時国際線の覇者だったPan American航空(パンナム)を意識したという。当時の鉄道車両としては革命的な航空機的デザインは国外にも強い印象を残したようで、登場後半世紀余を経た今日も0系をモティーフにした図柄を見る事ができる。



Top: Series 0 illustrated in a Mongolian stamp (with a wrong color).
Bottom: Series 0 found in a poster at a post office in Moscow in 1998.
左上:モンゴルの切手。車体は正確に再現されているが、色と開通年が違っている。中:1998年頃に撮影したモスクワ第123104郵便局(Почтаポーチタは郵便局の意)、下はそのアップだ。当時、同郵便局は航空機・船・鉄道の図柄を切手状に図案化したものを窓に貼り並べており、航空機はソ連が誇った超音速旅客機ツポレフTu144(世界で唯一、コンコルドと並んで静態保存されるTu144については第59話参照)、そして鉄道の図柄は0系で、旧知にばったり遭遇したように雪の中を思わず立ち止まってしまった。20世紀末になっても0系は超音速旅客機並に最先端の乗物のイメージをロシア人に持って貰っていたようだ。車輪が8軸と大型機関車並なのを除けば0系の特色を良く押さえている。


Top left: Picture of Series 0 at a sushi bar in St. Petersburg. Bottom: Series 100
(the 2nd generation following Series 0) illustrated in the destination board of a trans-
Eurasian train between Donets'k (UKR) and Vladivostok in the Russian Far East.

左上:サンクト・ペテルブルグ第50話参照)のモスクワ方面の列車が発着するモスクワ駅にある寿司バーСуши Барにも0系の絵が。日本食➔日本➔新幹線➔0系、という連想なのだろう。下:ウラジオストク駅第9話参照)で見かけたドニエツク(ウクライナ)~ウラジオストク間のユーラシア大陸横断列車の行先表示板には東海道新幹線100系が描かれていた。遥か中央アジアから見ればウラジオストク➔極東➔日本➔新幹線、という連想パターンか。100系(製造年1985-1992)は0系後初のフルモデルチェンジ車だ。座席間隔を広げ普通車3列シートも回転可能にして接客設備は大幅に向上した。しかし、中程度の出力で保守も面倒な直流モーターで、重い抵抗器付のこれまた重い鋼鉄製車体を動かす点で、技術的には0系と大差無かった。デザインも先端がやや尖って釣り目になったものの、0系のイメージを引きずっている。

山陽新幹線用の試作車951形(右上)も東北新幹線初代200系も、0系の延長線上にある。951形は0系より長い鼻先と運転室直後の青ヒレが意匠面の特徴で、上海の旅行代理店で見かけた新幹線(右中)は同形を参考にしたようだ。大きな飛躍は、JR化後の可変電圧・可変周波数で交流モーター制御+アルミ車体の300系(製造年1992-1998年)を待たねばならず、この300系の登場と同時に、JR東海は0系を源流とする初期デザインと訣別した。

 
2 日台鉄道の絆の視点から見た六家基地の0系
 

台湾の鉄道は清朝時代に基隆~台北~新竹の区間が建設されたが、日清戦争後の下関条約以降は日本が建設を引き継いだ。以来日台の鉄道の縁は深く、日本の新幹線を最初に買ってくれたのも台湾だった。



Identical manual rail switch signals in Taipei (top left) and Okayama, Japan (top right). The picture
top left is external. Bottom: Diorama displayed at the head office of Taiwan High Speed Rail.

左上:「台灣鐵路130週年」の垂れ幕がかかる台北駅前に展示される蒸気機関車の前に手動転轍機標識がある。直進は青地に白線の円板、分岐は黒線入りのオレンジ色の矢羽根で、日本に昔あったものと全く同じデザインだ。右上は田辺幸男氏のブログから引用させて戴いた伯備線を走るD51の写真をトリムしたものだが、隣に瓜二つの転轍機標識がある。日台共に軌間も同じだ(在来線1067mm、新幹線/高鐵1435mm)。下:台湾新幹線( 臺灣高速鐵路、以下「高鐵」)の北の終点、南港駅付近にある高鐵本社の入口には同社全路線をまとめたジオラマがあり、来訪者があると動かしてくれる。


右下:暴力団専用室ではなく、車掌室の事らしい。
Taiwan High Speed Rail (“THSR”) is a mixture of European (D/F) and Japanese high-speed rail systems.
Exactly due to this reason, Japan Rail rejected to dispatch its employees to train the THSR drivers of the
Japanese Series 700T-high speed trains in Taiwan. As a result, Germany and France assumed this role.
Top right: A German trainer in the cab of 700T in Taiwan (source: “mobil” 2007 No. 7, P56).

 

2007年に開業した高鐵は台北~高雄約350kmを最高時速300kmで最速約1時間半で結ぶ(在来線の特急、自強号は約4時間)。当初は独仏連合が受注し、仏TGV Duplex式二階建客車の両端を独ICE2の電気機関車で握るユーロトレインが納入される予定だった(この凸凹編成を一度見てみたかった)が、1998年に独エッシェデで101人が亡くなったICE脱線事故や翌年の台湾大震災を契機に安全性や地震への経験値の高い日本勢が巻き返し、700系(JR東海では300系の後継機、性能と経済性のバランスを目指した形式だがカモノハシのような残念な顔が特徴。製造年1999-2006)を改良した700T型新幹線の売込に成功した。左上は査詢機という自動販売機スタート画面で表示される、陸揚げされる700T。

しかし日欧のシステム混在の結果、運転士の指導を高鐵から依頼されたJRは責任を持てないとこれを断り、TGVやICEの(元)運転士が急遽起用された。その結果、日本製新幹線車両の運転指導を独仏の運転士が行うという現象が生じた。右上は700Tの運転指導を行うドイツ鉄道DB運転士を特集したDB車内誌mobilの2007年7号P56から抜粋。中:このシステム混在は片方の制度の不足を他方が補う利点もあり、700Tには欧州の安全規格に従い非常時に窓を割って脱出するハンマーが多数装備されている。この思想が無い日本で固定窓の列車で火災が起きればアウトだろう。初期の0系には車体中央に脱出口があったが、腐食を嫌って後に溶接されてしまった程だ。左下:乗車時間は短いので簡易型ながら(間口が狭いので少々使いにくい)、荷物置場を設けるのも欧州式だ。下中:駅員による指差を伴う安全確認は日本式だ。



Banciao used to be the provisional end station of the THSR when it started operation in 2007.

台北を出て最初の駅は開業当初は暫定始発駅だった板橋だ。「いたばし」ではなく「バンチャオ」と読む。同駅に近い商店街の中の慈恵宮は、日本ではシャープの買収で有名になった鴻海グループを創立した台湾の立志伝中の人物、郭台銘(テリー・ゴウ)氏が幼少期に一角を借りて住んでいたという寺院だ。正面向かって左側の龍の彫刻に寄進者としてその名が刻まれていた。



A structure gauging car, the former Series 0, stopping at Liujia
Maintenance Base in Hsinchu County, can be identified in Google Maps.

台北から高鐵で約30分強の新竹は台湾のシリコンバレーと呼ばれる一帯だ。Google mapsで見ると新竹駅(左上)から左下方向に伸びる本線から東側方向に側線が分岐し、六家基地に通じている。留置線にぽつんとある車両(青〇箇所)を拡大すると、流線形の0系先頭車が見える(右下)。これが見たくて新竹まで来たのだ。見学には事前に高鐵の許可が必要だが、日本人の見学希望が多いので将来一般公開する案もあるという。



Original color scheme and specification notes in Japanese language remain untouched.

この21-5035号車はJR西日本から譲渡されたもので、モーター類の電装解除のうえ計測機器が取り付けられ、台湾では車両限界測定車として用いられた。「新幹線博多基地所属」の意味だろうか、連結面に「幹ハカ」等の日本時代の表記が残っていた。考えてみれば外国とはいえ博多~台北は博多~東京より僅かに遠いだけだ。筆者は一度だけ石垣島に行った事があるが、この南国の楽園から目と鼻の先に101階建超高層ビルや新幹線が疾走する大都会があるのが信じられなかったのを思い出した。



Shinkansen amid the Chinese language environment.

訪問時は六家基地の営業車両は出払っており、期待した0系と700T型の並びは見られなかった。車両基地の光景はどの国も似たり寄ったりだが、中国語環境がこの0系が異国にある事を実感させた。中国語は解さないが、推測するのが楽しい。「停車再開」は「一旦停車」だろう。「停看聴」は「停まって視覚・聴覚を働かせて安全確認せよ」、だろう。「水帯箱」も何となくわかる。運転士への警告文の中・英2か国語表記に、高鐵開通当時に独仏の運転手も試運転を行った歴史を垣間見る事ができる。



Some parts of the body look like Frankenstein due to modification work and natural deterioration.

車体のあちこちに試験用機器類が取り付けられ、穴が開けられ、横引き窓が設けられ、と試験車ならではの改造が施されている。台湾に来てから1回塗り直したそうだが、亜熱帯南端(台湾のほぼ中央を横切っている北回帰線以南は熱帯だ)の太陽に焼かれ続け、何度も台風に遭う鉄塊の劣化は避けようもなく、赤錆の流れが流血のようにも見える。



Two Japanese steam locomotives are preserved at working conditions in the fan-shaped depot
in Changhua, not far away from Hsinchu. US-style cowcatchers are attached to the front end.

新竹まで来たら高鐵で2駅目の台中駅(在来線名は新烏日駅)から更に在来線で2駅目の彰化駅(高鐵の彰化駅ではない)に併設された扇形車庫に立ち寄る事をお勧めする。現役の転車台のある本格的な車庫で、午後は一般公開されている。動態保存されている蒸気機関車2機は、CK124は日本のC12、DT668は日本の名貨物機・D51(デゴイチ)だ。野太い汽笛の音も日本と同じで懐しかったが、アメリカ式カウキャッチャー型排障器が取り付けられ西部劇に出てくる機関車のようになっていた。ディーゼル機関車の工場のようなデザインはアメリカ丸出し、電気機関車の両頬の発光式番号標識もアメリカン(右上)で、戦後米国の影響が強まった台湾現代史が鉄道にも反映されている。

円形モノレール(文字通り1本のレールという意味で)の上を回りながら転車台を動かすミニ一輪電気機関車(二列目・左)や、ロック機構(同右)が面白い。近くには寺子屋のような教室が併設された孔子廟があり、ミニ観光もできる。左下:彰化駅に進入する在来線・普悠瑪(プユマ)号用TEMU2000型交流振子電車も日本製だ。これはJR九州885系を改良したTEMU1000の後継機で、現地の鉄道ファン(「鉄道迷」というらしい)からは「紅面番鴨」と呼ばれている由。右下:自撮棒による感電防止警告ポスター。アニメの雰囲気も日本との近さを感じさせる。

 
3 ヨーク鉄道博物館
 

英国・ヨーク市の国立鉄道博物館National Railway Museum(以下NRM)は機関車100両以上、客車・貨車は200両以上を擁する世界最大級の鉄道博物館だ。0系新幹線も展示されている。この先頭車22-141があった編成の反対側先頭車21-141は四国鉄道文化館で展示されている。



Another country in which Series 0 still exists, is the UK. At the
National Railway Museum in York, Series 0 is one of the exhibits.

NRMはヨーク駅に接しているので、ロンドンからなら鉄道利用が便利だ。ヨーク駅は欧州の大駅で一般的な総ドーム構造だが、駅全体がカーブしている事、カラフルな英国式装飾、そしてホーム中央の大時計が印象的だ。NRM入口に並ぶ主要展示物を示した旗の放列の中に、0系の旗もしっかりはためいていた(右下)





The interior and the nose of Series 0 next to “Agenoria”

入館後真先に0系を目指したが、探すまでもなく入口近くにでーんと鎮座ましましていた。シートは0系後期のもので、一方向固定の簡易リクライニングシートだ。改造当時は普通車でリクライニングできる事に感激したものだが、現在の水準では狭くて座りにくかった。人間とは贅沢なものだ。しかし全体の造作が「そういえばエアコンの吹出口はこんな形だったなあ」の連続で、ちょっとしたタイムカプセルに入ったような気分だった。車内は「飲食禁止」の英文ポスターやビデオを見ている英国人家族連れがいなければ、ここがイギリスとは思えなかった。



Top: Series 0 face-to-face with the mockup of Eurostar.
Bottom: Series 0 celebrating the marrying couple.

0系は英仏海峡特急ユーロスター第29話参照)のモックアップと向かい合って展示されていた。筆者が着いたのは閉館時間間際だったが、その夜は結婚式に貸し切られていたようで、新婚カップルやカメラマン、参集者が三々五々集まりつつあった。



Many stars are shining in the NRM – Mallard, Flying Scotsman (under overhaul), etc., etc.

NRMには見応えのある展示が多く、僅か20分しか見られなかったのが心残りだった。上3葉は時速203kmという蒸気機関車世界最速記録を保持するLNER A4形マラードMallard号だ。その下は日本でいえば特別急行富士号に相当する伝統的名列車、フライング・スコッツマン Flying Scotsman号の機関車。オーバーホール中だったので美しい緑色のボディは動輪上部のカバーで僅かに見れるのみだ。

当時の英国の鉄道は技術的にもデザイン的にも世界の最先端を走っていた。NRMは英国鉄道史がメインとはいえ、英国が鉄道発祥地だった故に人類鉄道史の前史でもある。なぜ前史と限定したかというと、ある時点でイギリスの鉄道技術の発展が文字通りぱたっと止まったからだ。栄枯盛衰は世の習いとはいえ、どうしてそうなったかは要研究だろう。因みに0系を殿堂入りさせてくれた英国は、欧州で最初に日本の高速鉄道Class 395 “Javelin”を買ってくれた国であり、日本車=小型車という固定観念の強い欧州で最もレクサスを買ってくれている国でもある。

 

4 旧鴨宮モデル線区近辺に残る新幹線黎明期の痕跡
 

日本国内には静態保存される0系は多いので、初期の建設工事に関連した遺構に絞ってご紹介する。次の写真左上:東海道新幹線で難工事が予想された新丹奈トンネルは、戦前の東京~下関間弾丸列車計画に従って着工したものの戦争で中止された工事を再開したものだ。同トンネル付近の函南町に「新幹線区」と通称される住宅地がある。これは弾丸列車工事用の工事用宿舎地跡が地名化したもので、現在の新幹線という呼称は戦前から決まっていた事になる。「新幹線区」はその後の住居表示変更で廃止されたが、「新幹線公民館」(赤い郵便箱にも「新幹線区郵便受」と書いてある)という町内会館名が、戦前の弾丸列車計画時代からの歴史を伝える。



Kamonomiya, the Southern end of the first Shinkansen test track
(now part of the Tokaido Shinkansen line), is proud of the history.

弾丸列車計画で用地買収がほぼ済んでいた神奈川県綾瀬~鴨宮の約32kmが試験用にまず建設され、鴨宮モデル線区と称された。この歴史を記念し、JR鴨宮駅南口には「新幹線の発祥地・鴨宮」の碑が建立されている(上中)。0系がトンネルから飛び出てくる様子を題材にした、ダイナミックな構図のカラー作品だ。同駅北口商店街も「新幹線発祥の地・鴨宮」を前面に出し、「ひかりスタンプ」なるものもあり(中左、図案は100系)、秋祭りは「川東ひかり祭り」(鴨宮は酒匂川東岸に位置する)という力の入れようだ。商店街は鴨宮駅から北に延び、防音壁で遮られた新幹線の辺りで尽きる(中右)。東海道線の小田原以北はすっかり通勤路線となったが、それでも新幹線の方が天下の東海道本線より遥かに列車密度が高いのには改めて驚く。

鴨宮駅西方、酒匂川手前で新幹線と在来線が合流する、現在Meiji Seikaファルマ小田原工場がある辺りがモデル線区の南端だった。新幹線軌道と東海道貨物線の間に「新幹線発祥の地」の碑があり(下)、かつて鴨宮駅ホームの「名所案内」で紹介されていたが、現在は無い。立入禁止で電車内から一瞬見えるだけなら削除で正解だ。



To the contrary, in Ayase, the Northern end of the ex-test track, there is no hints of the history
except for this toilet in a small park, which is somewhat similar to the initial model of Series 0.

住宅と畑が混在した神奈川県綾瀬市の昼下がりの静寂を、高速で駆け抜ける列車長400mの新幹線16両64輪の轟音が数分毎に破る。半世紀余の時が流れ、0系はとっくの昔に引退し、JR東海では5代目となるN700系が主役になった。軌道近くの小さな公園に、「それ」は何の解説文もなく、唐突に立っていた。噂で聞いていた新幹線型公衆便所だ。プラレールをトンと立てたようなゆるキャラ風だが、良く見ると黎明期の新幹線の特色を細かく押さえている。

新幹線の最初の試験車両、1000形A編成(右・上から1・2枚目はそのNゲージ模型)では運転室の正面窓は曲面ガラスだったが、0系量産車(右・上から3枚目)では横長平面ガラス2枚(+小窓)に変更された。1000形はその後量産車同様、前照灯が2灯から4灯へ、また客室窓回りは青塗りに変更された。このトイレでは運転室は曲面ガラス・4灯用縦長ライト・青い窓回りなので、0系に合わせた改造後の1000形が最も近い。1000形ではダンゴ鼻の先端部分にも照明が組み込まれていた(「光前頭」と称した)が、最初期の0系で光前頭内の照明を廃止し、左右の前照灯から漏れる光が光前頭をぼうっと微かに明るくする程度になったが、その後バードストライク対策で鼻先の円形蓋がアクリル製から不透明の強化FRP製に変更された為、光前頭は廃止された。このトイレの天辺はライトと同色なので1000形試作車又は最初期の0系の光前頭を表現したようだ。その他、屋根の換気スリットや運転室上の静電アンテナ等もちゃんと再現している。中央手洗いの落書きすら、0系独特の下段交差型小型パンタグラフの特色を押さえているのだ。

ここが世界の高速鉄道の先鞭をつけた東海道新幹線の試験線北端だった事を示すモニュメントは、おもちゃじみた、しかし作者の細かい観察眼を偲ぶ事ができる、この公衆便所しかない。

 

次号第65話は宮城県柴田町からお届けする。



Next stop of the Trans Eurasian Express: Shibata Town, Miyagi (J)
Expected Arrival: May 2018

(2018年2月 / February 2018)
 

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